日米貿易摩擦が中国に与えた重要なヒント

人民網日本語版 2019年06月20日10:47

日本と米国の貿易摩擦は1950年代初期から断続的に続いているが、特に激化したのは80年代だった。この時期は定番となっている鉄鋼、自動車、繊維製品などの物品貿易摩擦のほか、ハイテクについての貿易摩擦も両国間の最重要課題になった。日本の従来型貿易および新興ハイテク貿易の脅威に直面して、80年代の米国は日本に全方位的で多層的な圧力をかけるプロセスを開始した。具体的にいうと、通常の経済的手段だけでなく、政治や金融などいくつもの手段を総合的に駆使して、相手に圧力をかけ、ナンバーワンの地位を維持する目的を達成しようとした。(文:王広涛・復旦大学日本研究センター青年副研究員。「環球時報」掲載)

日米貿易摩擦が真っ先に反映したのは、両国経済貿易における不均衡の問題だ。米国が日本企業に経済制裁を加えるのはもはや常套手段で、1974年に「通商法」第301条を打ち出した後、日本は冷戦時代に最も多く301条に基づく調査を受けた国になった。データによると、75-97年に米国は日本に301条調査を16回発動しており、米国の狙いが成功し、日本が妥協を迫られて譲歩して終わるというケースが多かった。301条調査の主な内容は、貿易対象国の輸出補助金、貿易自由化措置、輸入関税、非関税障壁などで、日本が対米貿易でいつも採用してきた政策ばかりだ。このため米国にとっては切り札になり、調査はいつも確実に成果を上げてきた。

米国は301条調査と政府によるいつもの制裁などでは対日貿易赤字を効果的に削減できなかったことから、今度は通貨政策や金融政策などで日本をやり玉に挙げるようになった。85年に米国は他の西側諸国を巻き込んで「プラザ合意」を可決して日本に円高を迫った。それからしばらくして、円は50%近く値上がりし、円高が日本の経済・社会の発展に与えた甚大な影響は貿易摩擦それ自体の影響を上回った。米国にしてみれば、最初の狙いは円高を迫ること、そうして対日輸出で競争上の優位性を獲得すること、同時に日本の対米投資を増やすことだった。しかし対日輸出貿易の伸びには限界があり、日本が投資や合併買収(M&A)を通じて「米国を買う」現象が多発した。日本の対米投資・M&Aの成果はともかく、米国国民の心には「日本の脅威」への恐怖が生まれ、貿易摩擦は悪循環に陥っていった。

こうしたミクロ的な制裁と圧力のほか、マクロの視点でみると、米国はこれまでずっと日本を成熟した自由市場国と認めてこなかった。米国は米日間の貿易不均衡は日本の体制内部に原因があると考えたため、「内政干渉」に近いやり方で日本の政治経済体制の改革を促すことが多かった。89年に両国は「日米構造協議」を締結し、最終的な結果として日本は流通制度、投資障壁、輸出規制などで多くの改革を行うことになった。特に農産品分野は市場開放の原則が打ち出され、それ以降に米国産農産品が日本市場に大量に輸出されるための基礎固めがなされた。しかし実際には、日本はこれ以前にすでに経済構造や行政構造の改革を意識的かつ段階的にスタートしていたのであり、80-90年代に日米間で先鋭化した「構造協議」は、日本の内部で生まれた構造改革のプロセスを中断してしまい、90年代の日本の政治的安定と経済発展にマイナスの影響を与えた。

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