内モンゴル・クブチ砂漠の村を「小康」へと導いた砂漠横断道路

人民網日本語版 2020年12月31日10:10

莫日根道日計さんの一家は内蒙古(内モンゴル)自治区鄂爾多斯(オルドス)市の砂漠横断道路(S215省道)の北東側、「死の海」と呼ばれるクブチ砂漠の奥にある敖楞烏素嘎査で暮らしている。彼の記憶に残っているここはかつて、「良き水と草のある場所」と呼ばれていた。しかし彼のこの記憶は祖父の昔語りに過ぎない。莫日根道日計さんはその半生を費やし、砂漠と戦ってきた。人民網が伝えた。

莫日根道日計さんは、「当時ここでは植物が少しも育たなかった。砂嵐が来ると、家のドアも羊の囲いも砂に埋もれた。外出時にはロバ車に乗ったが、車輪がよく砂にはまった。砂嵐に遭うと、帰りは道の様子が来た時と全く変わってしまい、完全に感覚が頼みで、よく道に迷った」と話す。

◆砂漠横断道路の建設、それは人と自然の戦い

1997年6月16日、数万人の幹部や一般の人々が次々とクブチ砂漠にやって来て、「死の海」横断道路建設という戦いに加わった。

建設中の砂漠横断道路(写真は杭錦旗旗委員会宣伝部が提供)。

道路建設において、建設工事に当たった人々はかつてない困難に直面した。水も電気も道もなく、建設者らは半月分の食料を持ち、砂漠で食事し、寝泊まりした。現代的な機械がなく、彼らは手作業で砂を掘り、運び出し、少しずつ建設工事を進めていった。酷暑と猛威を振るう砂嵐は、彼らの意志の試練になった。オルドス市杭錦旗交通運輸局計画科の郭曙東科長は、「ある日目を覚ますと、夜間の強風でテントが吹き飛び、作ったばかりの路盤も見つからなくなった」と振り返る。

そして郭科長は、「砂漠の村と牧畜エリアを世間から隔絶させず、生活を正しい軌道に戻すことは、私たちの目標と責任だ」と述べた。

砂漠横断道路の両側では大規模な砂漠対策が行われ、緑に覆われるようになった(写真は杭錦旗旗委員会宣伝部が提供)。

1997年11月、巴音烏素と独貴塔拉を結ぶ全長51.4キロメートルの砂利道が開通した。1998年10月には、巴音烏素-錫尼区間が開通し、全長115キロメートルの砂漠横断道(砂利道)の全線が貫通した。そして、1999年5月に砂漠横断道路2期アスファルトコンクリート舗装が始まり、同年10月に竣工した。

砂漠横断道路の建設には、杭錦旗からは延べ6万人以上が参加した。現在この砂漠横断道路を走行すると、両側には緑の草が尽きることなく広がり、頭上には澄み切った青空がある。莫日根道日計さんは目の前に広がるこうした風景を眺めながら笑みを浮かべた。

牧畜民が徐々に豊かになり、杭錦旗の経済も発展し、砂漠横断道路の交通量が増えていった。郭科長は記者に対し、「車の量は開通当初の1日あたり300台ほどから年を追うごとに増加しており、ピーク時には3000台を超える。砂漠横断道路の開通後、負荷が急激に拡大し、道路状況も悪化し、走行安全のリスクが拡大した」と話した。

これを受け、杭錦旗は新たな措置を打ち出した。2019年9月18日、クブチ砂漠に朗報が伝わった。3本の新しい砂漠横断道路(S215独貴塔拉-錫尼区間道路、S316中和西-巴拉貢区間道路、G242臨河黄河大橋-公其日嘎道路)が同日、正式に開通。旧砂漠横断道路は県道(X651)に格下げされた。

自宅前で笑顔を見せる莫日根道日計さん(撮影・馬昌)。

莫日根道日計さんの生活も2003年から大きく変化した。もうロバ車で移動する必要はなくなった。マイカーも購入し、孫を鎮の学校に送る時にも、新しく出来た道路を使えば2時間足らずで到着できるようになったという。(編集YF)

「人民網日本語版」2020年12月31日

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