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魏晋南北朝時代の日常を描いた彩色画像磚の特別展が中国国家博物館で開幕

人民網日本語版 2021年06月04日15:52

下絵に煉瓦の型板を作り、粘土で造形し、そして彫刻、装飾してから、窯で焼成させた画像磚(がぞうせん)。そこには古代の人が馬に乗って狩りをする様子や宴会で楽器の演奏を楽しむ様子、かごを持ってクワの実を取る様子などが描かれている。どの彩色画像磚にも、古代の人々の多彩な生活の様子が生き生きと描かれている。中国国家博物館が甘粛省文物局、甘粛省博物館と共同で開催する特別展「図画衆生――画像磚に描かれた古代の河西の人々の生活」がこのほど、中国国家博物館で開幕した。中国新聞網が報じた。

「塢堡射鳥画像磚」特別展のプロデューサーである陳克双氏によると、この画像磚は、クワの実の収穫を描いた画像磚と、畑を耕す牛を描いた画像磚の間にあった。クワの実の収穫や牛を使った耕作は、農家にとって春の重要な農作業で、その間に鳥を弓で射ようとしている様子が描かれた画像磚があるということは、クワの木にいる鳥を追い払おうとしているか、春の訪れを祝うための儀式として鳥を射ようとしているかのどちらかではないかと分析されている(画像提供・中国国家博物館)。

「青龍画像磚」青龍は、天の四方の方角を司る霊獣・四神の一つ。漢(前漢紀元前206-8年、後漢25-220年)の時代以降の古墳には「四神」が描かれていることが多く、それは当時の死ぬと「仙」になるという思想と関係がある(画像提供・中国国家博物館)。

考古学的発掘調査では、画像磚は長い歴史を誇り、戦国時代から(紀元前403‐紀元前221年)、宋・元の時代(960—1368年)まで、約15世紀続いたことが分かっている。職人は画像磚を作る時、その当時の実際の生活の様子をベースに、豊かな想像力を働かせて、その時代の人々の精神や物質生活の幅広い面を巧みな技術で描いた。時代によって、画像磚の特徴も異なり、なかでも最も一見に値するのが河西地区の彩色画像磚だ。

「羌女送行画像磚」ある学者によると、女性は羌(チャン)族であるため、河西地区の民族融合や異民族間での婚姻関係の様子を描いているのではないかと分析している(画像提供・中国国家博物館)。

内陸部の天山山脈・崑崙山脈山麓のオアシスルートに連なる重要な通路である河西回廊は、シルクロードの重要な一部分で、長い歴史、深みある文化を誇る。東は永昌、高台から始まり、西の酒泉、嘉峪関、敦煌まで、約100キロ伸びる広大な大地に、魏晋南北朝時代(220年—589年)の壁画磚墓が大量にあり、考古学者らは大量の彩色画像磚を発見してきた。それら画像磚のスタイル、内容はバラエティに富んでおり、神仙・異獣、クワの栽培、カイコの養殖、狩猟、宴会・日常生活、芸能・娯楽、服・乗り物、建築物・住居など、テーマも多種多様だ。レンガによって描かれている物や景色は、ほぼすべて異なり、作風はアグレッシブで鮮明だ。また、巧みな構図、自由なラインが特徴で、強い時代の雰囲気、多民族融合が描き出されている。(編集KN)

「人民網日本語版」2021年6月4日

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