36年かけて「命の用水路」を築いた「七一勲章」受章者・黄大発さん

人民網日本語版 2021年07月15日09:48

2003年、45年間務めた村の幹部の職を退き、「日の出と共に活動を始め、日が暮れると家に戻る」という農民の生活を送りながら、用水路をパトロールし、清掃作業をするというのが今でも日課となっている黄大発さん(羅星漢/人民図片)。

中国貴州省遵義市草王壩村(現在の播州区団結村)は、山々にすっぽりと囲まれたような場所にある山奥の村で、水不足が貧困の根本的原因となっていた。そして、昔から村の人々は先祖代々、「山は高く、石が多く、他の土地へ行くには坂を上らなければならない。1年中、貧相な食事をし、重湯を飲めるのは正月だけ」という民謡を口ずさんでいたほどだった。人民日報が報じた。

同村に住む黄大発さん(86)は、これを「運命」と決めつけることなく、不屈の精神で、大きな山と闘い、36年かけて、用水路を建設してきた。

2016年6月26日、用水路をパトロールし、清掃作業をする黄大発さん(羅星漢/人民図片)。

1935年に草王壩村で生まれた黄さんは、23歳の時に中国共産党に入党した。そして、その年に同村の大隊長に就任。意気揚々と「用水路を建設する」という決意を語った。

しかし、現実は極めて残酷だった。黄さんたちは必要なスキルなどなく、測量といっても、竹竿を立てるだけ。コンクリートは不足していたため、溝の壁に直接泥を塗るだけの状態で、洪水対策のための溝もなく、洪水が生じると、脆弱な溝は原型すら留めないほど破壊されてしまうのだった。

しかし、黄さんは決して諦めることなく、必要な知識についてあちらこちらに教えを請い、水利技術を独学した。建設中のダムや用水路があることを聞くと、すぐに保存可能な食べ物をリュックに入れて、現場に向かった。

1992年の春、黄さんが筆頭となり村民らは、山奥へ入り、用水路建設を始めた。来る日も来る日も休むことなく、黄さんは200人以上の作業員と共に山に入り道を切り拓き、村民らは後方で、セメントを作り、用水路を築いた。

2016年6月26日、麦博希望小学校で遊ぶ子供。同小学校は黄大発さんが筆頭となり建設され、開校当時は村の子供100人の通学の問題を解決した。近年、企業の寄付により、改修工事が行われ、現在の状態にまで改善された(羅星漢/人民図片)。

こうした必死の努力が実り、1995年、7200メートルの主水路と2200メートルの支水路からなり、連なる大きな山々を囲うように走る「命の用水路」が完成し、水が流れるようになった。

通水した日、村の人々は山や用水路の周りで爆竹を鳴らしたり、大きな拍手をしたりと、大賑わいとなった。そして、ブタを屠殺して宴会をしたり、ステージを設けて祝い、大盛り上がりとなった。その日は、草王壩村の村民にとって、最もうれしい日で、積年の夢がついにかなった日となった。大勢の人がステージの上で黄さんを囲んで今の気持ちを聞くと、黄さんは感極まって言葉が全く出ず、目からこぼれる涙が、日焼けしてしわができた顔をずっと流れるだけだった。

「山が高いことも、石が多いことも怖くない。一生懸命頑張れば貧困を脱却することができる。岩を砕いて水を引き、田んぼを作り、貧しい村が豊かな村へと変わった」。草王壩村の村民の懐は少しずつ暖かくなり、その暮らしは日一日と幸せに向かって歩み始めている。(編集KN)

「人民網日本語版」2021年7月15日

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