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日韓学生と英語の長い格闘 (2)

中国メディアが見る日本


韓国の済州島の国際学校で、外国人教師が英語の授業をしているところ。

 この問題で特に声高に叫んでいたのは旧日本陸軍だ。彼らの支持の下、第二次大戦期の日本は英語教育を完全に廃止した。この大声で「英語無用」とがなりたてたのは、実際かなり個人的恨みを公の事を利用して晴らすところが大きかった。当時、日本陸軍は児童の学校から独立した自分たちの教育体系をもっていた。陸軍大学校にはドイツ語、ロシア語、フランス語、果ては中国語まであったが、英語は学ばなかった。だから欧米は旧日本陸軍にとって最もよく分からない相手で、太平洋戦争を戦ったのも「無知ゆえの無謀」だったのだ。ついでにいえば、陸軍とは全く異なり、旧日本海軍は「すべて英語」の軍種であるため、自分と相手の真の実力は陸軍よりはるかにはっきりとわかっていた。残念なことに当時の軍国主義政府で海軍は決定権を持ったことがなかった。

 第二次大戦後、米国の影響を受けて日本の英語教育は急速に拡大する時期に入った。1940年代と1960年代に英語学習ブームがあり、1960年になると日本はすでに率先して完ぺきな英語学習体系を確立していて、英語はすべての高校での必須科目になっていた。しかし、この時期を過ぎると英語をめぐる「再検討」が日本社会で議論のテーマとなった。日本の英語教育普及と同時に英語教育は単一化され、受験のための科目となっていた。強制的な英語学習で学生の多様性の成長が阻害されていると非難されるようになった。この点を鑑みて、日本文部省は学校で多元的な英語教育を試験的に始め、同時に英語を融通の利かない教育選抜体系の過程に組み入れるのをやめた。

 戦前の「英語廃止」の非合理な要求をして騒ぎ立てた時と異なり、日本は戦後、英語教育に対していまいち盛り上がらない方法を採用し、より理性的に考えるようになっている。英語を学生の素質を図る絶対的指標としないため、日本の人材資源はさらに有効利用できている。2008年のノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、受賞のあいさつの一言目に「I can not speak English(英語は話せません)」と話したのは謙遜ではない。学生時代はどんなに英語を勉強してもできなかった益川氏は、有名になった後でも英語で自分の名前をつづるのもうまくできない。ある取材で「(ノーベル賞を受賞したら)必ず英語で講演しなければなりませんが、どうしますか?」と聞かれ、益川氏はきっぱりと「なら、(ノーベル賞は)いらないよ」と答えた。このように英語がまったくわからず強情張りの物理天才が埋没しないことは、まったくもって日本の柔軟性のある教育体系に感謝すべきところだろう。

 2003年から、国際化が加速していることを受け、日本文部省は長年の英語専修教育制度の改革を始めた。大学受験での外国語(原則は英語)は必修科目になり、徐々に各種学校における英語教育を強化してきた。今回、文科省は英語教育を小学校3年生まで前倒しにすることを決定した。これはまさに新しい「英語熱」の表れだ。

 韓国が英語学習で見せた「一辺倒」の熱狂ぶりと比べ、日本は英語学習において、「付かず離れず」を数回繰り返してきた。日本は英語学習の問題において韓国よりも長い時間模索してきたため、当然認識がより全面的だと思われる。英語に対する重視は、日本を2度も台頭させた。一方で、英語に対して「重視しない」ことは、日本人の人材育成に無駄な消耗を避けさせた。これまで、英語教育は日本で何度もの変遷によって強化されてきたが、韓国のような「一票否決」の地位を得るまでには至っていない。このような慎み深く、理知的な態度は中国も参考にできるだろう。
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