山西省太原市享堂新村では30日、すでに周辺企業の倉庫となったトーチカ(堡塁)の姿が見られた。歴史ある都市の太原市では閻錫山や抗日戦争の時期などに、数多くの堡塁や塹壕が作られた。1949年の戦役で現地の堡塁の一部は破壊され、姿を消した。その後の時間の経過と都市化の進展にともない、同市の堡塁は多くが撤去されてきた。現在、同市最後の堡塁は都市の片隅にひっそりと姿を留めているが、行き交う人はこの身近な「文化財」を気に留めることもない状況だ。(編集YH)
「人民網日本語版」2013年5月31日
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