中国共産党中央委員会と国務院はこのほど通達を出し、河北省に雄安新区を設立することを決定した。雄安新区の計画範囲は河北省の雄県、容城、安新の3県とその周辺地域に及び、北京と天津と保定に囲まれた地域であり、スタートエリアの面積は約100平方キロメートル、将来の面積は約2千平方キロメートルに達する見込みだ。
中国の改革開放の中で、さまざまな「区」が次々に誕生した。
改革開放が始まると、国は深センなどに「経済特区」を設立し、区内では特殊な政策を実施した。1980年代中頃には、「沿海開放都市」14ヶ所を相次ぎ建設し、沿海地域の一連の市や県と沿海開放都市が管轄する県を「沿海経済開発区」に設定した。改革開放の深まりにともない、「経済技術開発区」と「ハイテク開発区」が全国規模で続々誕生し、「開発区」に入居した企業には一定の優遇政策が適用された。
90年代初めには、「国家級新区」10数か所が相次いで登場し、ここ数年の間には「自由貿易区」が設立されるといった動きがみられた。
▽「区」の道を模索
「特区」や「開発区」や「新区」が次々設立されるのはなぜだろうか。
清華大学経済学研究所の劉濤雄所長(教授)は以前に発表した文章の中で、「改革開放の初め頃は、改革と発展を推進するということについて、人々の見方は一致していなかった。全国で統一的に改革開放を推進した場合、多くの措置がうまくいかなくなる可能性があった」と分析する。
こうした背景の下、さまざまな場所に特別エリアを設立して開放と発展を促進することが始まり、最も早く設立された「経済特区」だけでなく、その後スタートした「沿海開放都市」と「沿海経済開発区」、こうした過程で設立された「開放区」と「ハイテク区」などは、いずれも初期段階における開放・改革戦略推進の産物であり、その後も継続して現在に至る。
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