• 习主席出访
2018年8月9日  
 

中日対訳健康知恵袋 企画集 北京のお気に入り

政治|経済|社会|文化|中日
科学|写真|動画|対訳|企画
Apple新浪ツイッターFBLINE微信RSS
人民網日本語版>>経済

日本も歩んだ「模倣」の道 日本近代工業の歩み (2)

人民網日本語版 2018年08月09日10:46

「ターゲットを絞った模倣」

第二次世界大戦後の日本の製造業の復興に際しても依然として「模倣」をメインとし、その主なターゲットは米国となった。1950年代から、日本は米国に追随するようになり、消費財から最先端技術に至るまで「完全なるコピー」に徹した。さらに、戦後の長い期間にわたって、日本の商業ブランドから社会文化に至るまで米国をその模範としてきた。例えば、老舗食品メーカー不二家は1950年ごろに、マスコットキャラクター・ペコちゃんとポコちゃんを打ち出したが、それは、米国の食品メーカー・バード・アイの広告キャラクター・MerryとMikeのコピーだった。日本の漫画が台頭する以前、米国の漫画が日本のアニメ作家にとっての「作画モデル」となっており、戦後、漫画界の巨匠となった水木しげるや手塚治虫なども、キャラクターを考える際、米国の漫画から発想を得たことが少なくない。例えば、水木しげるの漫画「ロケットマン」は一見したところ、米国の「スーパーマン」と大差ないといった具合だ。

製造業の面では、戦後、日本企業、特に自動車メーカーが欧米の同業者の「完全なるコピー」を行っている。戦後、日本の自動車生産ライン上で製造された自動車は基本的に欧米で人気の車種の「コピー版」で、「商標」を変えただけのような自動車もあったほどだ。

戦後の日本のテクノロジー発展はかなりの程度において「技術の模倣」頼りで、商品にそれを集中して応用していた。1960年代末のある調査によると、戦後の革新技術139件のうち、日本が開発した技術は、新幹線を含む5件だけで、基礎科学やオリジナル技術の面で、日本は欧米の先進国と比べてパフォーマンスが劣っている。しかし、日本の外国の技術を模倣、吸収し、それを自分のものにする能力はどこの国よりも優れている。


【1】【2】【3】

コメント

最新コメント

アクセスランキング