AI時代の外国語教育 その苦悩と模索(十)

人民網日本語版 2019年04月05日09:26

人民網ではこのほど、「AI時代の外国語教育 その苦悩と模索」をテーマとする小野寺健氏による連載をスタート。小野寺健氏は特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部の理事長を務めるほか、長年にわたり数多くの中国の大学で日本に関する教育指導を行い、「淮安市5.1労働栄誉賞」や「第二回野村AWARD」、「中国日語教育特別感謝賞」などを受賞しているほか、人民日報海外版では「中日友好民間大使」として紹介されている。

第十章 外国語教育の生き残り策 模索その二

直ぐに役立つことは、直ぐに陳腐化するので、時代の流れに左右されない叡智を育むことが、大学教育に課せられた使命ではないだろうか。

そして、ここで思い起こされるのが、旧制高等学校で尊重されたリベラル・アーツ教育となる。

リベラル・アーツは、技術革新のスピードが早く、生涯学習が当然とされる現代において、たゆまず学ぶ姿勢を保ち、新たな価値を発信する原動力となるもので、個別の問題を解決する能力と、社会の在り方をデザインする力を併せ持ち、普遍的価値を追求する可能性を秘めている。

プラトンの「パイドン」を原書で読んで、「イデアを知るとは、イデアを想起することだ。」等と、高尚な議論を展開することは求めないが、夏目漱石の「三四郎」を読みながら、広田先生の謦咳に触れ、明治の世相と若人の悩みや恋愛の行方に思いを巡らすことは、感受性豊かな学生の琴線を刺激して、人間と人生を知る良き契機となるだろう。

また、魯迅と藤野先生との交流を見ても、必ずしも学問的に優れているとは評価されていない藤野先生の熱意が、魯迅の心を動かし、その後の生き方に影響を与えたことを考えると、平凡な教師であっても、熱意と情熱があれば、学生への木鐸となり得る一方、煌びやかな学位や業績の優れた教師であっても、自己の保身や出世に現を抜かすことは、恥ずべきことだと言える。

ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー教授は、アダム・スミスを始祖とする近代経済学が、「人間は、自己の利益が最大になるように行動する所謂合理的な経済主体であると想定される。」ことを前提として学説を構築したこと対して、疑義を呈しており、行動経済学の観点から、「人間をより良く知ること。」を通じて、不合理に満ちた人間の実態を、炙り出している。

この様に現実社会は、合理的な理論のみで構築されたものではなく、不可解な事象の連続なので、「人間をより良く知る。」ことが、学問の有用性を、更に高めることになる。

投資の世界では、如何に優秀なファンドマネージャーやストラジストであっても、常に勝ち続けることは出来ない。

賢者と愚者が入れ替わることは決して珍しいことではないので、常に謙虚さを失わず、挫折に挫けず研鑽を積むことが、「人生と言う名の芸術作品」を作り上げる作業だと言えるだろう。

そして、幻のファンドマネージャーと言われるピーター・リンチは、「投資は、芸術である。」と喝破し、イギリスのジョンソン博士は、「教養のある人間とない人間の違いは、生きている人間と死んだ人間ほど違う。」と話しているように、専門家の限界を知り、刻々と変わる時代の変化を、しなやかに捉える教養を身に付けて、生きた屍とならぬ様に研鑽を積み、鑑賞に耐え得る清々しさと美しさに彩られた「人生と言う名の芸術作品」を、創り上げたいものだ。

「人民網日本語版」2019年4月5日

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