秋山さんは中国語が全く話せなかったものの、中国で写真を撮ることに全く問題はなかったといい、「写真に言葉はいらない。現場に行って、撮りたいと思う人がいればシャッターを切る、ただそれだけだ」と話す。
4月26日、東京の自宅で娘と一緒に「中国の子供達」を見る秋山亮二さん(写真右、撮影・杜瀟逸)。
秋山さんの娘は、「当時、日本から中国に行くチャンスというのはとても得難いものだったし、そ毎回の滞在期間はとても長かった。帰ってくると、撮影機材が入った箱の中には、海軍の帽子や中山服、金華ハムなどが入っていた」と振り返る。
写真は秋山さん提供。
「一期一会」
写真を撮影するために中国を行った時、東京でプロの写真家として働いていた秋山さんは42歳で、息子と娘をもつ二児父だった。
若い頃の秋山亮二さん(写真は秋山さんが提供)。
秋山さんは早稲田大学文学部を卒業後、AP通信と朝日新聞社写真部を経て、フリーの写真家になった。秋山さんの作品はニューヨーク近代美術館や東京都写真美術館、宮城県美術館、呉市立美術館などにも収蔵されている。
「『茶経』を読んでいた時に、『一期一会』という言葉を見た。日本語でもよく使われる言葉で、人との出会いは一生に一度で、大切にしなければならないという意味。中国で写真を撮るというのも『一期一会』で、貴重な機会を大切にして撮影しなければならないと思っていた」と秋山さん。
写真は秋山さん提供。
「僕は人を撮るのが好き。街で散歩している人や遊んでいる人など。子供なら、日本の子供であっても、世界のどこの国の子供であっても、未来を背負っている存在。だから真剣に向き合わなければならない。必ずしも子供のために何かをするというわけではないが、写真家として、子供の姿をしっかりと写真に収めたかった」と秋山さん。