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我が故郷中国--石原邦夫

人民網日本語版 2019年02月01日16:13

2011年の春ごろ、中国の小学生から中国語で書かれた手紙が会社に届いた。「あなたはもうこの世にはいないのかもしれませんが」。そんなドキッとする書き出しだった。3月の東日本大震災の直後のことだ。続いて「元気でいることを祈っています」とつづられていた。

ボランティアで前年訪ねた貴州省の子どもたちからの手紙だった。蝋燭を灯し、祈る子供たちの写真が添えられていた。遠く離れた日本の地震が、どの地域で起きたのかわからなかったのは無理もない。安否を気遣ってくれたことに胸が熱くなった。

貴州は中国で最も貧しい地域の1つだが、貧しくても一生懸命に勉強している姿が目に焼き付いていた。「日本から来たおじいちゃん」の記憶が、両国の間に流れる長い時間の中でいつかプラスに働いてくれればと願う。

当社は中華全国青年連合会と連携し、09年から中国各地でボランティア活動を続けている。対象は、親が出稼ぎなどで都市に行ってしまった子どもたちが住む地域の小学校だ。「七彩小屋」という名のスペースを学校に設け、パソコンや教科書、卓球台などを送っている。この活動で、十数カ所を訪問した。

中国で企業のイメージを高めるための、CSR(企業の社会的責任)活動としてもともとスタートした。だが中国で生まれた自分にとっては、ライフワークともいうべき取り組みになった。最初に訪ねたのは首都北京の郊外。子どもたちが千羽鶴を折り、首にかけてくれて感動した。

現地では、彼らと一緒に卓球をやったりする。「温泉卓球」程度の腕前だが、無邪気な子どもたちと遊ぶのは本当に楽しい。リーダーシップのある子、利発な子、笑顔が素敵な子。子どもの魅力はそれぞれ、いいもんです。

この活動の一環で、11年の秋にはふるさとの長春を訪ねる機会に恵まれた。自分が旧満州(現中国東北部)の出身だと相手方に告げると、「じゃあ、来年は長春でやりましょう」と提案してくれ、故郷への訪問が実現した。出身地を打ち明けるのをためらった時期もあるが、わだかまりなく受け入れてくれた。

長春でまず訪ねたのは、かつて東京海上の支店だった建物を使って開業した病院だ。建物じたいはそっくり当時のままで、テーブルも昔のものが残っていた。院長が東京海上との縁を詳しく説明してくれ、心を打たれた。

その後、車に乗り、生家に向かった。いつか訪ねてみたいと思っていた場所だ。そこで目にしたのは、何回か建て替えられ、ぼろぼろになった建物。父親の撮った写真で何度も見た、日本人社会の幸せな暮らしの面影はかけらもない。案の定と言うべきか。古き良き時代の情緒を確かめることはできなかった。

ちょっと話題がしんみりしてしまったが、満州生まれで戦後に引き揚げた日本の経営者たちとの交流は、原点を共有するもの同士の楽しいひとときだ。トヨタ自動車の張富士夫さんや全日空の大橋洋治さんたちと、10年以上続けている懇親会の「大地の会」がそれだ。財界人にも満州出身の人がけっこうおられるし、なかにし礼さんをはじめとして、財界以外にも交流の輪は広がっている。(東京海上日動火災保険相談役)

「2019年1月29日 日本経済新聞 朝刊」

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