1.AI時代の学びの特質
a.本来学びの特質は、時代を超えて不変であるが、AI時代の特質は、変革の早さと情報量の膨大さにある。
前述の如く学びの特質は、古代から不変であり、賢く生きる智慧を獲得することにあるが、変動が急激なので、時代の流れを追うことよりも、自分の生き甲斐を見つけて、時代の変化を乗り越える自己を確立することが、大切である。したがって、小賢しく生きることは、難しい時代なので、愉しく生きる智慧を、磨くことです。
ところで、時代の寵児は、単なる箱を作ったGEや東芝よりも、マイクロソフトやAppleに移り、経済の高度化は、サービスとソフト産業の比重を、より一層高めております。「コンピュータ、ソフトがなければ、ただの箱」なので、美貌に依存した生き方に甘えれば、即座にピーマンお婆さんに転落致します。なお、皆さんは、「小姐」だと思っているかもしれませんが、残念ながら既に「大姐」です。何故なら人間は、生物学的に言えば、十八歳から老化現象が始まるからです。したがって、「美に依存する生き方」は、年々価値を失い、惨めな老後が、待ち受けております。そして、人間にとって確実なことは、「死と税金」だと言われておりますが、現在煩く付き纏う花花公子も、「ピーマンお婆さん」には、見向きもしません。また、現在では、「小姐」と言う表現は、同じ花園でも「夜の華」と否定的に思われておりますが、古代においては、貴族のお嬢様を指しております。この様に言葉の意味も、時を経て変わりますが、現代の特色は、急転直下の変貌にあります。
また、麗人であっても、「四十歳を超えれば、美醜は価値を失う」と言われておりますので、優しさと賢さを磨くことは、万人に求めらる資質です。
かくて、私の拙い講義を聞いて、直ちに実践をすれば、資生堂やコーセーの化粧品をつけなくても、ユニクロ漂亮が多数誕生をするので、麗人各位からも、お褒めの言葉を、頂けると確信をしております。
b.生涯学習が求められる中で、大学教育の役割は、学びの方法論を確立することに尽きる。
そして、大学での学問とは、知のフロンティアへの橋頭堡であり、大学での教育とは、多くの人材を、フロンティアに導く為の訓練である。なお、大学で学ぶべきは、推論と議論の方法であり、実践である。
また、直ぐに役立つことは、直ぐに陳腐化するので、時代の流れに左右されない叡智を育むことが、大学教育に課せられた使命かと存じます。
そして、ここで思い起こされるが、旧制高等学校で尊重されたリベラル・アーツ教育です。
リベラル・アーツは、技術革新のスピードが早く、生涯学習が当然とされる現代において、絶え間ず学ぶ姿勢を保ち、新たな価値を発信する原動力となるもので、個別の問題を解決する能力と、社会の在り方をデザインする力を併せ持ち、普遍的価値を追求する可能性を秘めております。
別の言葉で言えば、直ぐに役立つ技術は、梯子で高所に登る方法であり、豊かな教養を身に付けることは、裾野の広い富士山の如き山を目指す試みです。
そして、教育部の指針も、リベラルアーツ即ち一般教養の充実にあるので、現代のレオナルドダビンチが、時代のヒーローかもしれません。
c.IQ(知能指数)よりも、EQ(心の知能指数)の高い人間が成功するのは、何故か。
膨大な情報を瞬時に処理することや情報の抽出は、AIが勝りますが、不可解な人間心理や微妙な流れの読みは、センスの問題なので、この様なセンスに富み信頼を得られる方が、単なる成績優秀な偏差値人間よりは、魅力的かと存じます。
そこで、AI時代の生き残り策は、単なる知識の断片や技術を習得するよりも、生涯に渡って使える学びの方法論を、身に付けることかと思います。
また、幕末の志士吉田松陰は、「学問とは、書物に書かれた「過去」を学ぶことではない。「現実」と向き合い、世界の時局を知ることに、他ならない」と話しており、この点からは、日経ストックリーグの取り組みは、一つの試みとして有用かと存じます。