2019年ネットを賑わせたトピック総まとめ! (2)

「野狼disco」「田舎のスローライフ動画」「これを買って」はなに?

人民網日本語版 2019年12月30日10:13

農村で育った李子■さんは2012年、祖母が病気になったのをきっかけに、全てを捨てて実家に戻った。そして、生計を立てるために、ショッピングサイト・淘宝にショップを開設し、商品がもっと売れるようにとショート動画も活用した。

李子■さんの動画のスクリーンショット

2013年、まだ「ネット有名人」にはなっていなかった耿帥さんは微博(ウェイボー)に、「自分は何の役にも立っていない気がしてとても悲しい。本当に何の役にも立っていないんだけど」とネガティブな気持ちを綴り、「もうすぐ30歳になるけど、まだ人生を変えるチャンスはあるのかなぁ?」と自分に問いかけていた。

当時、溶接の仕事をしていた耿帥さんが他の人から常に聞かれることと言えば、「この暖房の取り付けはいつ終わるの?」だった。

彼と芸能界の唯一のつながりはと言えば、講談家の単田芳さんの家で作業をしたことぐらいで、その時には、微博に「壁に飾られている字の意味がほとんど分からなかった」と綴っている。

耿帥さんの微博のスクリーンショット

2016年、李佳琦さんは店員の仕事をしており、「あの時は普通の人と同じで毎朝9時から夕方5時まで働いていた。店ではお客さんに自分がいいと思う商品を紹介していた」と振り返る。

2017年、まだ「ネット有名人」にはなっていなかった田野さんは中国東北地方にある実家に戻ってもうすぐ10年になろうとしていた。それでも、宅配の仕事をして、毎日平凡な生活を送っていた。

冬になると気温が下がり、同僚らは手が冷えないようにと、耳あてと耳の間に携帯を挟んで配達先に電話していた。そして、そうしたシーンはその後、田野さんの微博アカウント「老四的快楽生活」の「日常」としてショート動画に登場するようになった。「耳あてで携帯を挟むと、問題なくしゃべることもできる。それとしょっちゅう鼻水を吸う音が聞こえているのは、とても寒いから」と田野さん。

同じく東北地方出身の董宝石さんは、実家を離れて、希望を抱いて都市に引っ越して暮らし始めた。

引っ越してすぐに、董宝石さんは、配車アプリ・uberを使うタクシードライバーを始めた。しかし、3日目には、道をよく知らなかったため、客に10元(1元は約15.64円)をお詫びに払う羽目になったほど。「道を全然覚えられないので、ドライバーは向いていないと思う。社長にも『お前はいい奴だけど、能力がない』と言われた」と振り返る。

しかし、董宝石さんが、それほど深く考えずにわずか2日で作ってしまったラップの曲「野狼disco」が人生を大きく変えることになろうとは、本人も全く予想していなかった。この曲が大ヒットし、董宝石さんはそのアルバムのタイトルから取られた「老舅」というニックネームで広く知られるようになった。

「野狼disco」のMV。

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