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「不易流行」を実践する反逆のいけばな師 大坪光泉氏<文字版> (5)

満席となった会場=北京大学

 --充実した北京生活を送ってこられた大坪さんですが、当初10年滞在するつもりだった計画を2年程早めに日本に帰国されることになったのはどうでしてでしょうか?

 具体的には去年の釣魚島(日本名・尖閣諸島)の問題のあたりから、日中関係が悪くなってしまい、あらゆる学校官庁関係が日本の文化行事の紹介を行うことを許可しなくなってしまったことによります。文化教室も閉鎖になってしまいました。そうすると私は収入がなくなってしまいますし、時間は大変貴重なものですから。このほか、流派の幹部たちが老齢化してきたこともあり、総合的な事情で帰ることにしました。

 今回の日中間の矛盾は、2005年の反日デモの時よりも、デモ自体は大きくないですが、その影響はずっと大きいです。2005年の際は、前安倍政権に変わった途端に、あっという間に日本歓迎になってきましたから。今と全く状況が違いますね。日中の文化関係に与えた影響は今回のほうがずっと大きいです。

 --帰国にあたっての今のお気持ちをお聞かせください。

 夢のような素晴らしい8年間でした。色々な意味で東京では考えられない、想像できない世界でした。そこに、例えば人生80年だとすると、1週間のうちの1日北京にいたことになるんですから、素晴らしいことです。明日、突然素晴らしいことが起こるかもしれないという予感の中でこの8年間ずっと過ごすことができました。

 中国において、北京において、本当にたくさんのエネルギーをもらいました。それを、今から東京に戻って、放出したいと思います。日本にいたのでは、このエネルギーは蓄積しなかっただろうと思います。

 東京に帰って、しばらくはいい仕事ができると思います。それは、中国において別の考え方、別の体験をたくさんしたからこそ、できることです。あと、この体験とエネルギーをみんなに披露せずにはいられないという気持ちがあります。それを発表したい気持ちが高まった状態で帰国するのは、ある意味有難いことだと思っています。

 --今後日本に戻られたら、今以上に精力的に活動されることになりそうです

 そうですね。私の活動が、日本の生け花の世界全体がもっと活発になって、若い人にとって魅力あるものであるということを知らせるきっかけになればいいと思っています。そして、それに関して何かできるという自信と期待を抱いています。すでに私の参加する討論会とか、花生けバトルとか、大規模な帰国報告会とか、色々と企画されています。私が中国で得たもの、感じたものを発表できる場所は非常に多いです。

 日本にいると、日本の生け花界の異常さというのは、わかっているようでいて、あまりわからないものです。しばらく日本から離れていると、その異常さというのが見えてきます。このままで行くと将来の日本の生け花はどうなるんだろうという思い。それは中国の具体的なことを思い浮かべながらの批判です。私は、北京を中心にして、香港とか、シンガポールとか、ニュージーランドとかいろんな国・地域に行って、デモンストレーションを行ってきましたから、日本にいる以上に、さまざまなことを考える機会に恵まれました。そういった体験を活かして、日本と中国の生け花界全体に刺激を与え続けて生きたいです。

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