中国大陸報道を専門とする台湾の日刊紙「旺報」はこのほど、「北京の相声(日本の漫才に相当)が大好き」とする曾令潔・記者の記事を掲載。「相声を通して、中国伝統文化の素晴らしさを感じることができる。『国粹』は中華文化の誇り。中国大陸と台湾には芸文活動の面でさらに多くの交流を実施してほしい」としている。中国国営の通信社「中国新聞社」のウェブサイトが報じた。
以下は同記事の抜粋。
北京に住んでいて最も幸せを感じるのは、いつでも相声を聞けること。これは、私を北京に住みたいと思わせる理由の1つでもある。
北京ではこれまで何度も相声を見てきた。チケットを買って大劇場で観賞することもあれば、相声を専門とする北京の曲芸演出団体「?雲社」の茶館でスイカやカボチャの種をかじりながら楽しむこともある。さらには、古き良き街並みが残る通りに今時のレストランやバーが軒を連ねる「荷花市場」で人だかりの中、無名の芸人が披露する小話や評書(講談)、竹板快書(竹製カスタネットを使った語り物)に耳を傾けたりなんてことも。どれも私にとっては最適な息抜きだ。
一方、台湾で相声を見る機会はあまりない。また、多くの人は中国伝統文化の素晴らしさやそれがこれまでどのように発展してきたかを知る術がない。台湾で「相声」とされている演出には、伝統的な相声の面影はなく、笑いを取るための「寄せ集め」になってしまっている。以前、ラジオからは芸人がまずお辞儀をしてから始める相声が聞こえてきたが、今では芸人がスポットライトや派手な音楽と共に登場し、それを「革新」と呼んでいるが、私には人気を得るためのパフォーマンスにしか見えない。少なくとも、本当の相声ファンが望んでいるスタイルでは決してない。台湾では多くの中華文化が残されているのに、相声だけはなぜか時代の変化と共に原形を失ってしまったとつくづく感じる。
そのため、相声ファンの私にとって北京は天国のような場所だ。
私は子供のころに聞いた相声の記憶と重なる、北京なまりの相声が大好きだ。私が単に素人なだけかもしれないが、台湾で2時間ほど相声を見ても、ほとんど笑うことはなかった。一方、北京では、街中で通りすがりに見かける相声でも非常におもしろく、友人との約束の時間も忘れてしまいそうになるくらいだ。
[1] [2]