中国人の今年の心境、「疲れた」が最多
最近、中国人に関する二つの調査結果が発表された。一つは、国際就職コンサルティング会社「Monster」がマーケティングリサーチ会社「GfK」と共同で行った調査で、勤勉さと経済回復に対する世界各国の人々の見方について調べたもの。10日に発表されたその結果によると、中国は勤勉さでトップとされた。この結果は誇ってもいいだろう。勤勉であることは悪いことではない。「蘭州晩報」が伝えた。
もう一つの調査は、月刊誌「小康」が今年11月に世界各地の中国人2013人を対象に行った「2013年の心境」の調査。だがこちらの結果はあまり嬉しいものではない。中国人の今年の心境は「疲れた」が最多というのだ。ある人は「体が疲れた」と言い、ある人は「心が疲れた」と言う。またある人は「とても疲れた」、さらにある人は「どんどん疲れてきている」と嘆く。
社会経済が発達し、物質生活が充実し、個人の選択幅が広まり、制約が減っているのに、中国人はなぜ「疲れた」と感じ始めているのだろうか。勤勉さは幸福をもたらさないのか。この問題は中国にだけ存在するわけではない。世界的にも、人々の幸福感と収入との不一致は普遍的な現象である。経済学ではこれを「イースターリンパラドックス」と呼ぶ。経済発展は、収益の最大化の追求を目標とする。そして収入の増加に応じて人々の生活への満足度と幸福指数も上がると考えるのが普通だが、残念なことに、収入が増加しても、人々の幸福感はそれだけの高まりを示すわけではない。
「疲れ」には大まかに二つの形がある。一つは体の疲れ、もう一つは心の疲れ。筆者の見るところによれば、中国人の「疲れ」の多くは心の疲れだろう。中国中央テレビ(CCTV)司会者の白岩松はかつてこのようにもらした。
「現代の人間はとても複雑だ。医者は礼金を懐に入れながら手術をせっせと行い、疲れ果てて最後は自分も手術台に倒れる。教師は生徒にムチを当てて受験教育に没頭しているが、自分の家や子どもの面倒を見る暇もない。官僚たちは汚職に手を染めながら、週末返上で仕事をしている。私たちは皆、同じような状況にあるのではないか。半身は冷水に浸かりながら半身は猛火に焼かれ、一方で墜落しながら一方で飛翔している。誰もがもがいている。正しいこと、間違ったこととは何か。善とは何か、悪とは何か。次の岸はどこにあるのか」
精神的な迷いに加えて、不動産の高騰や食品安全、生存の負担によって人々は拠り所を失い、年金や医療、教育などの問題に押しつぶされ、人々は無力感にあがいている。このような状況で「疲れた」と言わずに、何と言うのか。我々は、経済成長と庶民の感覚との乖離をいかに回避すればいいのだろうか。勤勉な中国人が「疲れた」と言わないようにする。そのためには、社会保障をできるだけ多くの人が享受できるようにし、年金や医療などの保障制度を整備し、国民の各種の権利・権益が十分に保護され実現されるように努力していくしかないだろう。(編集MA)
「人民網日本語版」2013年12月18日