「一所懸命」から見る日本の「ミンスキー・モーメント」 (2)
当時も、バブルに警戒すべきだと警告する人がごく一部だがいた。だが政治家も銀行家もメディアも、みな米国に追いつき追い越すという大きな喜びの中に浸っていた。
当時、「一所懸命」への顧慮に日本は政府も民間も、上から下までみな酒に酔ったようにうつつを抜かし、社会に普遍的な自己利益へのこだわりによって民族の理性は日増しに失われていった。政策が長期間曖昧かつ放任的でバブルの拡大を許し、市場の各派が利益のために風向きのいいほうにつけば、非理性的な興奮と変動が拡大するのは必至で、短期間遅らせることはできても、バブルの最終的崩壊という「ミンスキー・モーメント」を根本的に阻止することは困難だった。
中国人は世々代々土地に対して特殊なこだわりがあり、不動産をエンジンとする成長モデルに長年依存してきた。そして経済のファンダメンタルズでは人民元が切り上げ圧力に面し、世界で最も豪華なゴルフ場では中国語が聞かれ、ナスダックのスクリーンには春節(中国の旧正月)に新年を祝う言葉が流れ、世界トップの高級品店はみな中国に移動している。外貨準備高の膨張、自国通貨の切り上げ、コントロール不能な貸付、流動性の氾濫、沸き立つ資産バブル。こうしたモデルを一体いつまで続けられるのかが「新ゴールドバッハの予想」となっている。
長期的な流動性の盛宴と金融抑制のもたらす供給不足、債務の貨幣化を基礎とする流動性の氾濫および土地・不動産依存型地方財政の放任が住宅価格を極めて高く押し上げた。中国の不動産市場にはこれまで素晴らしき日々しかなく、周期的な衰退を経験したことはないかのようだ。これは貪欲なだけで恐れを知らず、幸運なだけで理性のない、政策を盲信するのみで法則を畏敬せぬ市場であり、完全に機能不良の「レモン市場」でもある。歴史を鑑とし、隣国を鑑とする。不動産市場のいびつな繁栄は砂上の楼閣に他ならない。バブルの結末は必ず経済・金融の甚大な破壊である。
現在、世界経済は回復困難で、国内経済は下押し圧力が増大し、不動産のみで牽引する「独り芝居」は日に日に衰えている。そしてこれによって推し進められた中国式資産バブルはとうに無茶苦茶の大騒ぎにまで拡大し、マクロコントロールは進退窮まる「苦境」に陥っている。これは経路依存性の下でのモデル転換の困難さと深いレベルでの利益の衝突を前に改革が二の足を踏んでいることの反映である。深く反省すべきなのは、嵐のように突き進む粗放式成長の中で、経済は大量の貴重な資源を安く消耗してしまい、経済発展を支える制度上のコストがどんどん高くなっていることだ。