大人になりフリーカメラマンになった佐渡さんは仕事が忙しく、パンダのぬいぐるみのことはいつの間にか忘れてしまっていた。しかし、1995年に北京大学に留学する機会があり、99年には北京で事業を展開するようになった。初めは慣れない土地で知り合いも少なく、言葉もあまり通じないため、仕事が全くなく、焦りの中で暮らす毎日だった。そんなときに、北京動物園でパンダの双子の赤ちゃんが生まれたことを知り、何度も足を運んでパンダを食い入るように見ていた。そして、飼育員から、パンダの双子の赤ちゃんは珍しくないものの、お母さんパンダは片方の赤ちゃんしか育てないこと、もう片方の赤ちゃんは放り出すか食べてしまうため、生存の可能性はほぼ0%であることなどを教えてもらった。が、その時は、お母さんパンダが用を足している間に、飼育員が赤ちゃんパンダを入れ替えて、両方の双子に母乳を与えるようにして、2頭両方の飼育に成功した。
そんなパンダのエピソードに惹かれた佐渡さんは、パンダをカメラに収めることを思いついた。それからの半年間、佐渡さんは毎日動物園に通い、写真を撮影し、双子のパンダの成長を記録した。ところが半年後、お兄ちゃんパンダが死んでしまい、佐渡さんは悲嘆に暮れた。ただ幸いなことに、翌年、またパンダの赤ちゃんが生まれ、佐渡さんは再びパンダを撮影する力と勇気をもらい、動物園で撮影を続けることを決意。計2年にわたりパンダを撮り続けた。