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天津の元強制労働者「日本が謝罪するまで生きる」

人民網日本語版 2016年06月28日16:15

天津市河西区に住む田捷元さん(90)は、古い椅子に座り、腰をまっすぐに伸ばして、「年を取ったが、体は元気。日本が謝罪する日まで生きていたいと思っている」と話した。横のテーブルに置かれた戸籍謄本には「1945年10月13日、日本の北海道より天津市に移転」と記載されていた。 城市快報が報じた。

1945年初め、当時19歳だった田さんは、同市のある紡績工場で働いていた。ある夜、機械が故障し、工場を仕切っていた日本人は誰かがわざと壊したと疑い、田さんと他の2人の従業員は、小劉庄にあった日本軍の水上憲兵隊に連行され、10時間も拷問を受けた。10日後、田さんは塘沽強制収容所に送られ、しばらくのち、日本へ向かう汽船に乗せられた。日本に着くと、北海道の炭鉱で1日14時間以上も強制労働を強いられた。中国に戻れたのは、日本が降伏し終戦してからだった。

帰国後、田さんは天津の第四棉織工場で退職するまで働いた。退職後、田さんは、一緒に住む長男の田増順さんに、若い時に日本で強制労働を強いられ、苦痛を受けた時のことをしばしば話題にした。


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