苦しい経験も貴重な学習の機会
中野さんは、相互理解を促進することは高度な学問のようなものだと語る。国や民族の間の和解や理解には長い年月が必要と。どんなに良いことでも、すぐにやってすぐに良い効果が出るとは限らない。だがそれをわかった上で、第一歩を踏み出すことが重要とも。
中日交流にはこれまでも、相互理解に力を注いだ先輩たちがいる。大変な苦労をした先輩たちに、中野さんは、「『お疲れ様でした』と言いたい」と語る。「私も中日相互理解のために出来る限り貢献したい」。中野さんはそのため、呼びかけに応えるようにしている。
それにしても困難なことも多かった。中野さんは、苦労した思い出を語ってくれた。ある時、北京から列車で徐州(江蘇省)に行き、現地の活動に参加した。当時は高速鉄道もなく、列車はすべて普通で、車内の環境も簡素なものだった。翌日、北京で早朝から始まる番組収録のため、中野さんは深夜、列車で北京に帰らなければならなくなった。車内はとても寒く、睡眠不足も加わって、震えや、めまいもした。また雲南省の西双版納(シーサンパンナ)の野外収録に参加した時には、あまりの暑さで熱中症を起こし川に落ち、大変な思いをしたこともあった。
「あまりに困難だったので、中国での活動を続けるか何度も悩んだ」という中野さんだが、「誰かに『こういう困ったことがあるので、手を貸してくれないか』と言われると、少し迷っても、『わかりました』と結局引き受けてしまう」という。
中野さんにとって、旅行とさまざまな人との交流は、大切な学びの場だった。「中国各地を訪れ、多くの人と出会い、時には楽しく、時には苦しい経験をした」。こうした経験を中野さんは思いがけない貴重な経験だったと思っている。「驚くほど困難な経験でも、その後に人はもっと優しくなれる」。
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