大原和子さん
私の母方の祖父一家は、北京にずっとあこがれてきた。祖父が小学生だった1910年代、鉄道エンジニアだった祖父の父と共に、家族全員が北京で生活した時期がある。祖父は妹と一緒に、ロバに乗って学校に通い、冬になると庭でスケートをしていたと聞いている。曾祖母は、その頃伊府面(卵で小麦粉を練っためん)が大好きだったという。祖父たちの北京での思い出は、我が家でずっと語り継がれ、私たちは北京に対してロマンチックなイメージを持つようになった。(文:大原和子 北京化工大学。国際在線掲載)
このような背景がなくとも、日本人である私たちは、中国の文化にとても親しみを覚える。子供のころから中国文化の恩恵を受け、中国の寓話や伝説を聞き、漢字を学び、習字の練習をしてきた。餃子は、日本でもたいへん人気のある食べ物だ。冬になると、街では天津甘栗やあったかい中華まんが人気となる。しかし、私が子供だった頃は今とは違い、中国はまだ開放されておらず、日本との往来も限りがあった。そのため、中国大陸部の人々はどのような暮らしをしているのは想像もつかなかった。あの頃の私にとって、中国はとてもミステリアスな国だった。
1970年代末になり、中国で改革開放が始まった。そして、私は北京に来る機会もでき、中国に対するぼんやりとしたイメージも少し解消された。それでも、あの頃外国人が行くことのできる場所は幾つかの観光地だけで、名所旧跡に行く観光客も少なかった。童話の世界と同じく、中国人の生活に触れることはできず、表面的なことしか感じることができなかった。
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