日本映画「君よ憤怒の河を渉れ」(中国語名「追捕」)のヒロインを演じた中野良子さんは、中国での映画の大ヒットで、中国では知らない人はいないほどの人気を得た。中野さんの演じた「真由美」は、当時の中国の若者のアイドルだった。映画が中国で公開されて38年が経った今、若かりし頃の写真を手に中野さんが中国との縁を語るのを聞いていると、さっそうとした「真由美」の姿がよみがえるかのようだった。優美なこの女性を前に、変化の多かった長い歳月を振り返る感動とともに、中国と日本の友好に半生を尽くした中国人の友に対する敬意の気持ちが生まれるのだった。
「真由美」が中国人に与えた強烈な印象
中野さんは1950年、愛知県常滑市生まれ。海辺で育った中野さんは、海に対して言葉にできない憧れを抱いていた。時には静かで優美だが、時には恐ろしくなるほどの波も来る。そこには変幻する世界があった。そのせいか中野さんは変化の大きな環境にも柔軟に適応できる。その力が後に、芸術と旅という夢を実現する力にもなった。12、3歳の頃、学校の放送部に入り、学校の生徒たちに向けて昼の放送を受け持った。その後、映画やテレビの世界に入ると、世界各地を訪れるチャンスができた。欧州やアフリカ、ロシア、米国にも行った。そしてもちろん、中国にも。
中野さんが出演した映像作品は数多い。「君よ憤怒の河を渉れ」がその中で、芸術の面で最も成功した作品であるかはわからない。だがこの作品が中野さんの運命を変えることになったのは間違いない。1978年に公開されると、映画は中国で非常に大きな反響を呼んだ。1979年の初訪中の前に、中野さんは日本政府やメディアの関係者から、自分が中国で絶大な人気があることを聞いて「何が起こっているかは定かでないが、まったくの新時代が来ようとしている」という予感がしたという。
だが中野さんの演じた「真由美」の中国での人気は、中野さんの予想をはるかにしのぐものだった。北京空港で飛行機を下りるとまず、大勢の人々が興奮してドラや太鼓を響かせ、龍が天に昇るような大歓迎を受けた。政府の高官も参加した歓迎会でのことだ。「中野良子です」と自己紹介すると、会場から歓喜の声が上がった。そのとき通訳が中野さんに「チェンユウメイ」(真由美の中国語発音)と言ってくださいとアドバイス。初めて聞く中国語で少し躊躇したが、その響きが直感的に気に入った。まるで平和を表す響きにも聞こえ、そこで「チェンユウメイです」と言うと、地響きのような大歓声が上がった。
中国の人々の熱情に、中野さんは最初、嬉しさと驚きで一杯であった。上海の魯迅公園を訪れた時のこと、大勢の人々に囲まれ「人々が竜巻のように集まってきて私たちを囲んだ。ここで押しつぶされ死んでしまうのではないか」と思ったが、中野さんの傍らには中国に来てから常に身長2メートル近い大きな男の人が付きそっていた。それまで何故かわからなかったが、人々が熱狂して押し寄せるのを遮ってくれるのを見て、政府が自分を守るために付けたガードマンだったのを知った。「この人がもしそこにいなかったら、私は今も生きていたかはわからない」と中野さんは笑う。
中野さんはそうした経験の後、「君よ憤怒の河を渉れ」が中国で何故それほどヒットしたのかを考えるようになった。この映画は、中華人民共和国が建国されて初めて入ってきた日本映画だった。文化大革命が終わって初めて輸入された外国映画でもあった。中野さんは、さまざまな人々との交流の中から、10年の文化大革命が終わった中国が、文化や科学、スポーツなど各方面で発展し、人々を元気にする必要があったことを知った。中国は少しずつ開放を始め、日本など諸外国から学ぼうとしていた。「君よ憤怒の河を渉れ」はこのような背景のもと、中国で上映されたのだった。中野さんと中国の縁はこうして始まった。
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