1990年秋、ヨーロッパから帰国した村上氏は、落ち着いて執筆できる環境を求めて、再び荷物をまとめて日本を出て、米ニュージャージー州のプリンストンへ向かった。そこでの滞在期間中に、「国境の南、太陽の西」と「ねじまき鳥クロニクル」を執筆した。
村上氏は、「規則正しい生活のおかげで長年執筆活動を続けられている」と語っている。村上氏はかつてエッセイの中で自分の一日の生活について「毎朝午前4時に起床し、そこから昼までずっと執筆。午後にはジョギングをして、その途中、中古オーディオ店に立ち寄る。午後9時には妻と一緒に家に帰る」とつづっている。
受賞逃し続けるノーベル文学賞:あまり関心はない
突然小説家になろうと思ったときと同じく、村上氏は1982年秋にジョギングを始め、それから30年以上続けている。1991年には、フルマラソンを3時間27分で完走という自己ベスト記録を出した。これは5分で1キロを走りきるスピード。あるネットユーザーはこれをネタに「村上春樹はジョギングがこんなに好きだから、『ノーベル文学賞受賞のレースでもただ出走するだけ』という宿命を背負わされてしまったんじゃないの?」とコメントしているほどだ。
しかし、村上氏はそのようには思っていないようだ。ノーベル文学賞受賞とその「万年有力候補」と言われていることに関して村上氏は「ノーベル文学賞を受賞する可能性があるかどうかはわからないが、それ自体に興味はない。私にとって最も大切なのは読者だ。ノーベル文学賞は政治色が強すぎて、あまり関心はない」と語った。
もしノーベル文学賞を受賞したとしても、村上氏にとっては「悪夢」でしかないかもしれない。なぜなら村上氏はかつて、「私は式典やスピーチ、パーティーが一番苦手だ。この3つが合わさるのは私にとっては悪夢以外のなにものでもない」と語ったことがあるからだ。(編集YK)
「人民網日本語版」2016年10月15日
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