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「ライバル」の日本の長所に目を向ける器をもっているか? (二)

人民網日本語版 2016年07月26日09:09

「ライバル」の日本の長所に目を向ける器をもっているか? (一)

中国人があまり目を向けていない日本の2つの長所

技術革新や社会文明のほか、中国が日本から学ぶべきことがあと2点あると思う。しかしそれは、あまり目を向けられていない点だ。(文:王文。新華思客が報じた)

まず、「保守・服従」を重視する日本の大衆心理はどのように形成されたのだろうかという点だ。大多数の日本人は、秩序を守ろうとする意識や世間のやり方に従おうとする傾向を持っている。そして、日本人は通常権威を尊重するため、このような大衆心理の下、均質な社会構造が形成されている。1970年代、日本では、中流階級に属していると考えている世帯が90%に達した。これがいわゆる「一億総中流」の意識だ。もちろん、それから20年後、その割合は40%に低下したが、20世紀に日本が長期にわたって進めた民権主義の経済政策や社会発展の過程は、「中所得国の罠」を避けるべく、転換期を迎えている中国が参考にすべき重要な意義を持っている。

もう一つは中国人が日本の「一党優位政党制」の秘訣を正しく研究することも大きな意義がある。第二次世界大戦後、日本の自民党は、単独で、または連合で政権を掌握し続けて既に60-70年になる。これも、世界各国の現代政治史上における快挙だ。これは、権力開放と競争的選挙という条件の下、選挙戦での勝利を一度、また一度と積み重ねた成果だ。


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コメント

最新コメント

中川 清三   2016-09-01125.53.124.*
 「ライバル日本の」と中国は何かにつけて、日本をライバル視しているようだ。その昔日本から中国へと荒波に命を任せて、必死に先進国中国の文化や芸術を吸収して、日本の基礎を築いた「遣唐使」や「遣隋使」。戦乱の時代から平穏の時代が、300年も続いた徳川幕府、江戸末期のアメリカ・ペリーの黒船に刺激された高知や長州の脱藩浪士。大政奉還後の日本の新しい船出となった明治維新。明治後期から昭和初期における日本の近代化と工業力。1930年、父親が経営していた「豊田自動織機」の工場の片隅で、アメリカ・フォード社から買い付けた一台の「T型フォード車」を徹底的に分解し苦労に苦労を重ねて、全ての部品を国産化に成功した豊田佐吉。1960年代なれば「トヨタカローラ」が日本を席巻し、1980年に入ると海外に工場を作り、グローバルメーカーへと進化していった。 日本は何もかも国産出来たわけではないが、最初はイギリス・アメリカを手本として、模倣して作る物は二流品や三流品だった。 日本全土の都市や軍事工場が、アメリカから徹底的に破壊され尽くして、広島長崎に原爆を投下され焼け野原と化した日本、1945年日本は初めて戦争に負けて、アメリカの管理下に置かれていながら、気骨ある日本人が戦後復興を目指して努力した結果、それから18年後の1963年には、アジア初の東京オリンピックを開催・東海道新幹線もそのオリンピックに合わせて運行を開始した。 中国は日本の事を「小日本」と見下しているが、中国の近代化は日本がもたらしたと言っても過言ではない。1980年代の中国はアジアの貧国の一つであった。日本を訪問した中国の指導者の「鄧小平」氏に頼まれて、中国青島に初の工場を建てて、中国経済の近代化に貢献した「松下幸之助」。 中国経済全ての産業が、日本の恩恵を受けていながら、半日政策が止められない中国。訪日中国人が日本文化や商品に感激して、二度三度と日本に来て、日本を褒めたたえている中国人。日本の農村風景に感激する中国人。安心で安全な旨い水がいつでもただで飲める日本の水道。ラッシュ時の高速道路でもクラクションが聞こえない日本の車事情。奇麗な号路と奇麗なトイレ。ボールペン先のちっちゃなボールを大量に生産する日本。直径3mmのモーターから大型船舶エンジンやマッハ5以上のスピードで飛ぶミサイルを作れる日本。ジェットエンジンを純国産できる日本。波高3mの荒海に着水できる大型飛行艇を作る日本。そのほか例に挙げれば切りが無い日本と中国が本当にライバルなのか。 日本は中国製の物がなくとも、全く困らないが、中国では日本製の物がないと人民も工場も困るではないのか。こういう二国がライバルと言えるのか。 人民日報の反論記事を楽しみにしている。