鍵盤が88しかないピアノで新しいものができないことはない
村上春樹も、多くの作家と同じく、「経験やマテリアルが少ない」という課題に直面しているようだが、どのように小説を書いているのだろう?同エッセイで、彼は「僕は親の世代のように戦争を体験していないし、ひとつ上の世代の人たちのように戦後の混乱や飢えも経験していない。比較的穏やかな郊外住宅地の、普通の勤め人の家庭で育ち、とくに不満も不足もなかった。戦争とか革命とか飢えとか、そういう重い問題を扱わない(扱えない)となると、必然的により軽いマテリアルを扱うことになるし、そのためには軽量ではあっても俊敏で機動力のあるヴィークルがどうしても必要になる」と率直に述べ、さらに「書くべきものを持ち合わせていない」というのは、言い換えれば「何だって自由に書ける」ということで、とにかくひっかき集めて、あとはがんばって、マジックを働かせれば、洗練されたものが作れると書いている。
村上春樹の処女作 「風の歌を聴け」を例にすると、「何も書くことがない」ということを逆に武器にしているため、そのストーリーはシンプルで、若い男女の出会いと別れを描いているものの、人間性のぼんやりとした微妙な部分を存分に引き出し、読者の共感を呼んだ。村上春樹は、「新しい世代には新しい世代固有の小説的マテリアルがあるし、そのマテリアルの形状や重さから逆算して、それを運ぶヴィークルの形状や機能が設定されていく」と独特の感性で述べ、音楽を例にして、「『鍵盤が88しかないんだから、ピアノではもう新しいことなんてできないよ』ということにはならない」としている。
また、「最初から重いマテリアルを手にして出発した作家たちは、ある時点で『重さ負け』をしてしまう傾向がある」と冗談交じりに語っている。年を重ねるにつれ、経験が作家に与える活力は衰えていくもので、マテリアルの量に頼らず、自分の心で感じていることに端を発している作家のほうが気楽なのかもしれない。
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