2011年3月11日午後2時46分、子供たちが通学かばんを整理して帰宅しようとしたその時、地震が発生した。教師と児童全員が、普段の避難訓練時と同じように、速やかに校庭に避難した。この時、教員は津波警報を受け取っていたが、なぜか教員は子供たちを学校の裏山に避難するよう誘導せず、反対に彼らと共に海岸へ、つまり、すぐにも津波が襲ってくる方向に逃げた。
間違いの元凶は、教員が常識よりも、市の防災マニュアルで指定された避難場所、つまり空き地か公園に避難したことだった。校長の怠慢により、マニュアル内の津波防災プロセスのサンプルは調整されることなくデフォルトのままで、大川小学校のケースには100%当てはまっていなかった。
真相が明らかになり、保護者からの追求や叱責を受け、教育委員会の職員と大川小学校の校長は、最も丁寧な表現で哀悼の意を示した。また、全員で起立して、犠牲者の保護者に深々と頭を下げて謝罪したのだ。だが、自分が所属する組織の名誉を傷つけないように、この「事故」が職務上の過失であることを認めようとした人は誰一人おらず、さらには、この責任を自ら負う意思を持つ人も皆無だった。
東日本大震災発生時、李氏も日本にいた。彼から見ると、日本人は非常にまじめで、規律を守る人々だった。だが、規律を守ることには別の側面がある。それはすなわち教条主義で、簡単に判断を下すことを難しくしてしまうという面だ。
劉氏も李氏に同意を示し、この種の教条主義は、実際のところ、責任を負いたくないという心理に由来すると指摘。当時、山の方に避難しても、余震や土砂崩れのリスクがあり、教員はその責任を負うことができずにマニュアルに従うという決定が下されたのだ。
劉氏は、「このような現象は、日本ではよくあることだ。まさに、丸山真男氏が終戦直後に分析したように、明治維新後、日本の『近代主体意識』は結局ずっと構築されることはなかったため、日本社会では『無責任体系』が出来上がった。その結果が『上から下への抑圧構造』であり、このことも、大川小学校の保護者が学校と教育委員会の責任を追及する過程で、常に行き詰った原因となった」と強調した。
書籍の中で取り上げられた、訴訟を起こした保護者が直面した社会からのプレッシャーについて、李氏は、「このような現象の背後にある『空気を読む』という伝統は、日本でかなり深く根付いている。だが、今の若者は、『他人と同じでなければならない』というプレッシャーから抜け出すことを試みている」との見方を示した。(編集KM)
「人民網日本語版」2019年12月5日