2014年1月5日  
 

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ドイツに尊厳を勝ち取った「ワルシャワの跪き」 (2)

 2014年01月05日14:51
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 ブラント元首相が跪く写真の側では、ドルトムントから来たエンジニアが友人と共に資料を見ていた。同エンジニアは「小学生の時にはこの写真を見た。ドイツの歴史教科書は歴史問題を直視する必要があると明確に指摘している」と語った。日本の首相の靖国参拝について質問すると、最初は「アジアの政治のことはよく知らない」と答えたが、靖国神社が第2次大戦のA級戦犯の位牌を祀っていることを記者が教えると大変驚き、「ドイツでは絶対にあり得ない」と述べた。

 フォーラムの展示パネルには「静かに跪くことで、ドイツの首相はナチスの大虐殺の罪責を担った。ブラント政権は東方の近隣諸国との具体的な関係改善の歩みを勇敢に踏み出した。1970-1973年、ドイツ連邦共和国はドイツ民主共和国、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアと関係緩和の協定を締結した」と書かれていた。資料によると、ブラント元首相は1973年にイタリア人記者のインタビューを受けた際に「私は早くにドイツを離れたが、ヒトラーが政権に就いてファシズムを行ったことに、連帯責任を感じている。首相就任後、ナチス時代のドイツ人に代って罪を認め、あがなう社会的責任が自分にはあるとの思いをさらに強くした。跪いたのはポーランド人に対してだけではなく、実はまず自国民に対してだ。余りにも多くの人々が孤独感を紛らわし、この重責を共に担う必要があったからだ……われわれの責任を認めるのはわれわれの良心のためだけでなく、みなが一緒に生活するためでもある。ユダヤ人、ポーランド人、ドイツ人、われわれは一緒に生活すべきだ」と述べた。

 ヴィリー・ブラントフォーラムを出て、記者は万感の思いだった。ワルシャワの跪きには政治家の知恵と勇気が必要だった。事実が証明するように、歴史の罪責を認めることは民族と国家を傷つけることではなく、反対に多くの尊敬と理解を勝ち取ることができる。理由は明らかであり、手本も眼前にある。だが某国の政治屋は見て見ぬふりをする。彼らは自らの民族と国家をどこへ導くつもりなのか?(編集NA)

 「人民網日本語版」2014年1月5日

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