米教授が日本を戒告「歴史を反省することは自虐ではない」
第2次大戦の残酷さは今にいたるも振り払われていない。日本政界の一部面々は論争に満ちた靖国神社を集団参拝した。安倍晋三首相は「侵略」の定義は定まっていないと喧伝し、内閣は時代に逆行して、アジア諸国侵略の歴史的責任を認めた声明を覆そうと企てている。そして歴史論争の引き起こす感情は災禍をもたらす恐れがある。(文:トーマス・バーガー米ボストン大学教授<国際関係学>)
過去数十年間に村山富市元首相を始め日本の多くの指導者が日本が隣国に与えた苦難についてお詫びを試みた。日本の民衆の多くも日本軍が犯した犯罪行為を知り、驚きを覚えている。過去数十年間の世論調査は、歴史問題において日本はなすべき事をしていないと考える日本人が、いかなるお詫びも必要ないと考える日本人より多いことを示している。
だが日本には、歴史を客観的に認めて反省することは自虐であり、日本民族のアイデンティティーを損ない、国家を弱体化させると考える強大な思潮が存在する。彼らは第2次大戦において日本は犯罪者であったと同時に被害国でもあったと弁解する。外国勢力と共に日本を弱体化し、日本人の国への誇りを妨げようとしていると日本左翼を非難する。石原慎太郎のような政界の人物の誘導の下、この右翼思潮は靖国神社参拝というシンボリックな問題を利用して、日本の民衆の間に民族主義的感情を広げようと企んでいる。
これにどう対処すべきか。一つには日本政府が結果を出すことが必要だ。日本の指導者は自制を保ち、隣国の怒りを招く無意味な行動を避けなければならない。歴史修正主義的見解の表明を阻止できない時には、日本の指導者はこうした見解との間に明確に一線を画し、政府の立場をはっきりさせる必要がある。指導者にとってお詫びの意を伝えることは大きな代償を伴う。これは金銭面の消耗ではなく、国内の民族主義の強烈な反対の中で目立ち、包囲されることによる時間とエネルギーの消耗である。だが反感を招く民族主義的感情を表現する者がいた時、賢明な指導者にはこれを明確に非難し、批判する責任がある。
欧州の経験では、歴史問題の解決には加害国と被害国が同じ方向に向かう必要がある。もし指導者が自らの政府と粗暴な行為との間に明確に一線を画さなければ、民族主義感情が蔓延することは間違いなく、EUの精神の核心も壊滅を免れないだろう。
許すことは忘れることを意味しない。南京大虐殺記念館やソウルの韓国国立博物館を見学すれば、中国と韓国の民がこうむった苦難に心を揺さぶられない者はいない。同様に、広島平和記念館を訪れれば、誰しもが戦争中に一般の日本の民衆に降りかかった惨劇を実感する。歴史が今日もなおこうしたこだまを発しているからこそ、われわれはアジアの指導者がこだまが雷鳴に変わらぬようにすることを望むのである。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年5月9日