インターネットは現在、欠かすことができない人々の生活の一部となっており、特に若者は最新のツールを使いこなしている。これはもちろん良いことである。しかし、「書籍」や「人」を信じず、何事もインターネットで検索して調べたものを「基準」にする若者も少なくない。ある時、若い男性2人が「共産党県委員会書記」と「県長」の関係について白熱した論争を繰り広げ、その場でインターネットを使って2者のどちらが上の立場かを検索していた。人民日報が報じた。
インターネットがなくなると、人はどうなってしまうのだろう?もし、インターネットの発展が、人の頭をからっぽにし、人が何かを考えたり、知識を積み重ねたりしなくなったとすればどうなるだろう。もし考えたり、知識を積み重ねたりすることができなくなってしまったとすれば、どれほど恐ろしいことだろう。
携帯も多くの人を依存させるツールの1つだ。携帯の便利な機能はますます増えている。今では、着信した時に、発信者の名前だけでなく、発信者がどこから発信しているかも表示される。また、携帯を持っていないと、よくかけている人の電話番号でも全く覚えていないということも少なくない。人と人との関係を、全て携帯という小さなツールに依存しているかのようだ。現在、多くの人が携帯を肌身離さず持っており、寝るときやトイレに行く時、ひいてはお風呂に入る時でさえ、携帯から離れられない。携帯をなくした日には、社会から隔離されたような気分に陥る。さらに、多くの人が携帯に名前の入っている人とだけ交流しようとし、どこかに行く時、どこの何番地か分かっていても、付近で携帯を手に、相手に道を聞いている。路上で大勢の人が行き来しているにもかかわらずだ。
多くの人を依存症にさせる別のツールは車だ。車があると、人は歩くのを嫌がるようになり、たとえ100メートル先であっても車で行こうとする。駐車にかかる時間だけでも、ジョギングをすれば十分にたどりつける距離だ。もし、自家用車がなければ、路線バスに依存するようになるだろう。1区間、2区間なら歩いても数分で着くが、進んで歩く人がどれほどいるだろう。私は若い時、畑仕事や薪集めをする時、重い荷物を担いで歩かなければならなかった。今でも、ほかに運動の機会がないため、歩くのが好きだ。それでも、友人などと出かけるときは、みんなに合わせて車に乗る。数キロなら歩き通せたが、あと数年もすれば、夢の世界になってしまうのではいだろうかと感じている。
過度にツールに依存すると、人は元々持つ能力や楽しみを失ってしまいがちだ。人がこのまま進化して、親指だけが残るということがないようにするためには、ツールに制御されたり、それに依存したりすることを避け、自分が元々持っている能力を時々思い出してみるのはどうだろうか。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年1月2日