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オフショア金融センター・東京の浮沈を見る(後編)

 1980年代、日本は世界2位の経済体であった。当時の東京にはキャッシュが集まり、資本輸出が加速し、外国の金融機関がこぞって東京に地区本部を設立した。しかし東京は最終的に、人々の期待に答えられなかった。東京は世界金融センターとなる機会を失したが、これは持続不可能な経済、政策、商業全体および政府の構造によるものだ。これらの要因は、東京が真の意味で世界的な地位を獲得することを妨げた。専門家は、上海は東京金融センターの浮き沈みを参考にできるとしている。国際金融報は、東京で20数年間生活・勤務している復旦大学アジア経済研究センターの袁堂軍主任、上海交通大学現代金融研究センター主任、上海国際金融研究センター理事の潘英麗理事に東京と金融センターに関するインタビューを行った。

 ■東京の「振興」 全面的な国際都市

 袁主任:東京金融センターの発展の過程は、3つの段階に大きく分けられる。1996年以前は実体経済の発展を中心とする産業金融時代で、1996−2006年は調整・モデルチェンジの準備期間で、2006年以降は世界金融センターの再生・復興期間だ。中国の経済発展段階、上海金融センターのひな形は、東京の第1・2段階に相当する。

 -----東京金融センターの発展はどのようなものであったか。

 袁主任:上海国際金融センター建設の構想はまだ明確に示されていないが、その大まかな目標は、東京の現在の第3段階における目標、つまり国際化の強調と相似している。

 東京は現在、国際金融センターのさらなる改善に取り組んでいる。国際都市の全面的な建設は、東京国際金融センター建設の具体的な目標だ。現在の東京は10年前と比べ、国際化の雰囲気が色濃くなっている。居住環境、都市の景観、交通、飲食、多言語対応などの都市機能もまた、大幅に改善された。

 ■東京の「教訓」 バブルに警戒

 袁主任:東京国際金融センターは1980年代から90年代初頭にかけてピークに達し、その後は低迷・衰退・復興の過程を歩んでいる。東京はアジア金融センターの中で首位の座を占めているが、東京の発展の過程における回り道については、警戒をする必要がある。

 -----上海は東京金融センターの発展から何を参考にするべきか。

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