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車窓外の景色 |
1964年東京五輪の開催と同時に開業した新幹線は、日本の「高度成長期の象徴」と称された。
記者が乗った列車は、12両編成の6号車。6号車は、1列5席で20列、計100席ある。座席間隔はかなり広く、背もたれは20度ほど後方に傾けることができ、脚を伸ばしても窮屈さは感じられない。通路の幅も広く、普通のトランクを通路側に出しても、向こう側の座席に当たることはない。車内はとても静かだ。乗客同士のお喋りは、話し相手だけにやっと聞こえるほどのひそひそ声で行われている。軽食や飲み物を売る車内販売の係員は、呼び売りの声を出すことなく、ゆっくりとカートを押して通路を進んでいく。売り買いする時のやりとりも、係員と乗客は、周囲の乗客に迷惑がかからないよう、小声で会話する。読書にいそしむ人や小さな声でお喋りする人、車内全体でゆったりと時が流れ、すべてに余裕が感じられる。洗面所はコンパクトだが大変清潔で、車内には公衆電話が設けられ、携帯電話もスムーズにつながる。窓側の座席に座っていても、超高速で走る列車の鋭い音は聞こえず、飛ぶように過ぎ去る景色と軽い振動音だけが感じられる。
新幹線の車体両側には、長い緑色のラインが施されている。新幹線には、日本社会を理解する上での窓口的な役割がある。新幹線の停車駅には、各種のタイプがあり、重層化された駅や屋上ホームの駅は、空間の利用価値や日ごとに高密度化する大都市をめぐり、さまざまなことを考えさせられる。また、沿線には多くの墓地があった。日本人の間では、故人の魂と交流できると信じられている。この世を去り、お墓の下で永眠している側から言えば、往来が盛んで賑やかな周囲の環境のおかげで、寂しさを感じる暇など皆無であろう。(編集KM)
「人民網日本語版」2013年1月7日
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