安倍首相に願う、熟慮した上での行動を
菅義偉官房長官はこのほど、安倍内閣は1995年の「村山談話」を引き継ぐと同時に、21世紀にふさわしい「安倍談話」を発表したいと表明した。これを受け、国際社会、特に東アジア各国からの注目が高まっている。(文:王少普・上海交通大学日本研究センター主任。環球時報掲載)
注目が高まるのはなぜか?それは、日本の軍国主義政府がかつて発動した侵略戦争により、世界、特に東アジアの各国が大きな被害を受けたためだ。この歴史に正しく向き合えるかどうかは、戦争遺留問題を適切に処理できるかどうか、日本政府が戦争と平和のどちらの道を選ぶかに関わり、東アジアないしは世界の平和を維持できるかどうかに関わってくる。
「村山談話」はまさに、この問題に答えを出そうとしたものだ。「村山談話」では戦争の歴史について、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と指摘し、「ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明する」としている。戦後の問題についても「ひき続き誠実に対応する」とし、さらに「われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないこと」と強調している。
「村山談話」は戦後の日本の歴代政府が戦争の歴史について発表したうちで、最も肯定的な意義を持つ談話と言える。しかし、侵略を受けた国および平和主義を堅持する日本国民の要求とは依然開きがある。村山元首相は後に、この談話を準備する際に様々な妨害があったと回顧している。例えば「侵略行為」、「侵略性行為」、「侵略戦争」のうちどの言葉を使うかについても数々の議論があった。「侵略戦争」という表現には反発の声が多かったため、最終的に「侵略」となったという。
また、このような内容であるため、「村山談話」は日本の右翼勢力に「自虐史観」と攻撃されている。
安倍首相はかつて慰安婦問題について、「狭義の意味では強制ではなかった」と語っている。また、今回首相に就任する前、「前回の首相任期中に靖国神社を参拝できなかったのは痛恨の極みだった」と述べた。さらに昨年10月17日には靖国神社を参拝した。山崎拓元自民党副総裁は安倍氏を評して「戦後生まれの安倍氏は政策の中で『力学』ばかりを強調し、強硬な姿勢を主張している」と語っている。このような右翼でタカ派の首相が、「村山談話」に続く新たな談話を発表すると聞けば、周囲の警戒が高まるのも当然のことだ。