2016年6月8日  
 

中日対訳健康知恵袋 企画集 北京のお気に入り

Apple新浪ツイッターFBLINE微信RSS
人民網日本語版>>中日フォーカス

「文通」で架けられた中日友好の懸け橋 (2)

人民網日本語版 2016年06月08日11:11

しばらくして、楊さんは返事を受け取り、福田さんは切手収集家ではなく、兵庫県姫路市の日中友好協会の会長で、中国文化研究会の会長でもあること、切手を送ってほしいと頼んだのは日中文化交流を展開するためであることなどを知った。福田さんはまた、切手以外に、日本の学校に送ったり、協会が開催する中国文化展覧会で展示したりするために、中国の書道の掛け軸や中国画なども送ってほしいとのことだった。

福田さんが手紙のやり取りをした中国人は楊さんが初めてではなかった。55年、神戸大学で中国語を学んでいた福田さんは、当時の中国の外交部(外務省)の部長を兼任していた周恩来総理に手紙を書き、中国の民間の文化を日本の子供たちに紹介したいと願っていることを伝えていた。

楊さんが提供してくれた資料に、75年11月28日の「毎日新聞」の切り抜きのコピーがあった。

そこには、「1956年春、周総理からの返信ときれいなイラストブック40冊を受け取った福田さんは、すぐにそれを日本語に翻訳。『毎日小学生新聞』と『毎日中学生新聞』に掲載し、子供たちの間で人気になった。その後、福田さんの元には、周総理から図書500冊が送られてきた。75年、周総理が重病を患った際、国際ペンフレンド協会の会長だった姫路市立飾磨小学校の教諭・福田さんは、日本各地からお見舞いの手紙130通を集め、北京駐在の小川大使を通して周総理に『一日も早い回復を願っている』と伝えた。それらの手紙は、北の北海道から南の宮崎県の日本全国の小学生や文通愛好家が書いたもので、『日中友好のために多大の努力を払っている周総理が一日も早く元気になることを心から祈っている』ことが書かれていた」と記されている。

周総理のほか、福田さんは中国の毛沢東主席や宋慶齢副主席にも手紙を書いたことがあり、それぞれ返信も受け取った。「毎日新聞」も56年9月27日に、「毛主席が福田さんに図書4冊を送った」とする記事を掲載した。その記事の切り抜きや宋副主席の返信のコピーを、福田さんは楊さんに送った。


【1】【2】【3】

関連記事

コメント

最新コメント