フィリピンは2013年1月に国連海洋法条約附属書7に基づく強制仲裁を一方的に申し立てた。南中国海で中国が有する歴史的権利の否定がその核心的な訴訟要請の1つだ。歴史的権利は南中国海諸島及び関係海域における中国の長年の歴史的実践により形成された航行、漁、行政管制などの権利であり、強固な歴史的事実を支えとし、確実な歴史的証拠を有する。一方フィリピン側は訴訟目的を達成するため、恥知らずなでたらめをでっち上げることを辞さず、全く検証に耐えられず、全く成立し得ない一連の歴史証拠を入念にでっち上げた。(人民日報「鐘声」国際論評)
その手段を注意深く分析すると、以下の特徴がある。
(1)自己矛盾。領土主権問題は国連海洋法条約の解釈または適用の対象ではないが、フィリピン側は自らの仲裁請求に入念に装飾を施し、仲裁要請が島・礁の主権とは無関係であるよう見せかけようとした。だが証拠をまとめる際には、悪だくみをひそかに混ぜ込み、南中国海諸島を最も早く発見、命名し、長年開発・利用し、行政管轄を持続的・平和的・有効に行使したという中国の整った証拠のチェーンを顧みず、「中国の領土範囲の最南端は海南島を超えない」「1933年になって初めて南中国海の島・礁に対する領有権を主張した」「中国は南中国海諸島に対して管轄を行使してこなかった」などと度々強調した。
(2)都合の良い部分だけを断片的に引用。フィリピン側は文書証拠を使用する際、繰り返し全文の意図を隠し、自国の立場を支持しうる片言隻語のみを切り取った。例えば「1937年の中国政府の文書は西沙(英語名パラセル)諸島が中国領土の最南端だと確認している」。フィリピン側が採用した1937年の国防委員会秘書処の同文書の該当する部分は実際には「現在の地理学者は中国国境の最南端を西沙諸島のトリトン島(つまり中国の中建島)と言っているが、わが国の南方への発展の歴史を一考すると、この海南九島も中国の領有に属すようだ……」。実際、今日まで伝わる歴史文献、中国宋代以来の地方誌、明代以来の地図は、「石塘」「長沙」をすでに中国国土の範囲に明確に組み込んでいる。
(3)入念な隠蔽。中国に有利な数多くの歴史的証拠を前に、フィリピン側は選択的に目をつむった。例えば「1947年以前、中国は南沙諸島に対して名称をつけなかった」「中国は南中国海の航行時、南沙諸島近くの危険区域を工夫して避けた」と主張。このためフィリピン側は明・清以来、中国の漁師が南沙海域で操業し、すでに南沙諸島の主となっていた歴史的事実を入念に隠蔽したが、この事実は複数の版本のある『更路簿』で証明できる。「南中国海の危険海域」への航行指南として、『更路簿』は西沙、南沙へ漁に行く際の航行の方向と距離を精確に記述し、西沙の伝統的地名30余り、南沙の伝統的地名70余りに言及している。