日本でも「端午の節句」をお祝いする。「端午の節句」は、平安時代(西暦794年―1192年)に、貴族階級が中国から取り入れた。その後、この祝日は民間にも普及した。江戸時代になると、「端午の節句」の風俗は、広く日本の庶民生活の間に浸透した。
粽を食べドラゴンボートレースを行う以外に、日本では、「端午の節句」に鯉のぼりを掲げ、武者人形を飾るのが特徴的だ。この節句は、主に男の子を対象とした祝日であることから、毎年この祝日が近づくと、男の子がいる家庭の多くは、鯉のぼりを掲げる。両親は、子供が鯉のように元気に成長するよう願いを込めて鯉のぼりを掲げる。これは中国の「望子成竜」(子どもが竜となることを願う、将来出世することを願う)と同じ意味あいを持っている。鯉のぼりは自由に掲げる訳ではない。男の子1人につき鯉のぼりを1本立てるのが基本だ。したがって、鯉のぼりの数から、その家の男の子の数がわかる。また、室内には、男の子が将来「サムライ」のような立派な男子になるよう、男の子の数に応じた武者人形を飾る。
1948年、日本政府は「端午の節句」を「こどもの日」とし、日本五大祝日のひとつとなった。 (編集KM)
「人民網日本語版」2016年6月8日