中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館では、南京大虐殺事件の生存者・シャ子清(シャは人かんむりに示)さんが十数年、解説員として働き、世界各地から来た見学者に旧日本軍が働いた悪行について説明している。人民日報が報じた。
80年前、旧日本軍が南京に侵攻した際、シャさんの母親は殺害されてしまった。そしてまだ幼かったシャさんは兄や姉と共に米国大使館に逃げ込み、命拾いした。戦後、シャさんは新聞を売って家計を支えた。1950年、シャさんの兄は朝鮮戦争の戦場に行き、シャさんは軍人の家族として鉄道会社で働くよう手配された。そして、58年、南京鉄路局に転属となりディスパッチャーとして94年の退職まで働いた。
2004年3月1日、愛国主義教育拠点である中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館は無料で開放された。そして、シャさんは、他の南京大虐殺事件の生存者3人と共に、ボランティアの解説員として働き始めた。
他の解説員とは異なり、シャさんは悲惨な同事件の目撃者、生存者で、自分自身が「生き証人」となっている。自身の経験を盛り込みながら行う解説は、多くの見学者、特に若者に大きな教育効果があるという。
日本の民間友好団体が見学に来ると、シャさんは解説を買って出て、その歴史をリアルに説明するよう心掛けている。「説明を通して、日本人、特に青年、学生にあの歴史の真相をちゃんと知ってもらいたい」とシャさん。
休館日の月曜日を除き、シャさんは雨の日も風の日も毎日解説員をするという生活を14年間送った。これまでに、シャさんが解説を行った時間は4000時間を超え、同館で最年長のボランティアとなっている。
ただ、生存者が次々にこの世を去っており、シャさんは心を痛めている。同館で解説員を始めた4人の生存者うち、シャさん以外の3人はすでに亡くなってしまった。シャさんが高齢であることを配慮し、同館はシャさんに来てもらう日を金曜日だけにした。毎週金曜日になると、シャさんは朝早く起き、妻と共に同館にやって来る。「解説員をずっと続けたい。命ある限り、あの歴史を語り続けなければならない。その歴史を決して忘れてはならないから」とシャさん。
また、「生存者の家族らも、あの歴史を伝え続ける責任がある」としている。16年、同館のボランティアのチームの名前は「紫金草学雷鋒」に変更された。シャさんは、そのチームの多くのメンバーが、南京大虐殺事件の生存者の家族であることを喜んでいる。メンバーらは今後も、自分たちの親が直面した悲惨な事件、苦労を伝え、歴史の記憶を語り継ぎ、平和の大切さを訴えていく。(編集KN)
「人民網日本語版」2017年11月14日
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