映画は、中国人にとって娯楽であり、生活において重要な一部分。1970-80年代から現在に至るまで、映画館はまるで雨後の筍のように次々と建てられている。統計によると、中国の映画市場の興行収入は、2017年に600億元(1元は約16.43円)に迫り、十数年間で数十倍の急激な成長を見せた。中国新聞網が報じた。
映画が大好きという張恒さん(仮名)は、改革開放が始まる前の年の1977年生まれ。そんな張さんがこれまで最も衝撃を受けたのが1981年に公開された中国の国産の立体映画「歓歓笑笑」。張さんは、「赤と緑のメガネをかけて見る映画で、まるでスクリーンの中の人々が実際に飛び出てきたように見え、館内では観客たちの驚きの声が上がっていた」と、当時の様子を振り返る。
90年代中期になり、ハリウッド大作が中国市場に進出するようになると、中国国産映画はやや影をひそめるようになった。張さんも、そう感じており、「初めて見た洋画は95年の『トゥルーライズ』だった。その他、『ライオン・キング』も鮮明に覚えている。あの当時は、こんなにおもしろいアニメーション映画があるのかと驚いた」と話す。
そして、「中国国産映画が本当の意味で大きな話題になるようになったのはここ10年だと思う。おもしろい作品が増えた。最近見た『暴裂無声(Wrath Of Silence)』や『米花之味(Left Behind Buddha)』などもとても面白かった。また、少し前の『我不是薬神(Dying to Survive)』も良かった」とする。
もう一つの変化として、映画が少しずつ人々の日常生活に溶け込むようになっていることが挙げられる。
80後(80年代生まれ)の劉彬さんは98年、中国でも上映された米映画「タイタニック」を見た。劉さんはその映画を見た時の盛況ぶりや感想を「センセーショナル」という言葉で表し、「その後しばらくハリウッド大作が流行した。本当におもしろかったというよりは、物珍しかったから」としている。
しかし、そうした状況にはたちまち変化が訪れた。大学生になった劉さんは、「映画館がどんどん増え、気軽に映画を見られるようになった。学校の周辺には、2キロ以内にいくつも映画館があるし、それ以外にも隣にある大学の講堂で10元払って映画を見ることもできる」と話す。
さらに劉さんは、「現在、映画鑑賞が生活の一部になっている。チケットを買うのも便利だし、いろんな映画が上映されている。映画鑑賞は、『食事』や『授業』と同じぐらい普通のこと。周りの若者もみんなそう感じていると思う」とした。
著名な映画評論家・索亜斌氏も、「80年代前後、一般の人々にとって最も重要な娯楽、文化消費というと映画だった。学校も映画館を貸し切って学生が映画鑑賞するよう企画したりして、映画鑑賞は一大イベントのようでとても楽しいことだった。そして92年ごろ、中国の映画アートがピークに達し、たくさんの優秀な作品が登場した。例えば、93年の『さらば、わが愛/覇王別姫』(原題: 覇王別姫)」は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。02年以降、中国映画は、市場化、産業化が進み、規範の下で、健全に発展するようになり、十数年連続で、毎年20%以上のペースで成長している。そして、映画が大衆文化消費のピラミッドの一番上のような存在になり、ファッション性、特別感を帯びるようになり、代替できない最高の視聴体験となった」と分析した。(編集KN)
「人民網日本語版」2018年12月13日
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