NBAが30年かけて開いた中国のドアはわずか3日で閉じられた (4)

人民網日本語版 2019年10月12日11:13

30年前の1989年、当時のNBAコミッショナーのデビッド・スターン氏はビデオを持って中国中央テレビを訪れ、受付でかなり待たされた後、中国における放映権料なしでの試合の放映にこぎ着けた。コミッショナーという高いポジションにありながら、見返りを求めずに中国人とNBAとの出会いを創り出したことに、スターン氏の勇気と誠実さがうかがえる。

スターン氏は中国市場のドアを叩いた。その後しばらくNBAの人気は盛り上がらなかったが、10数年の成長期を経て、今では中国で最もよく知られたスポーツイベントになった。

02年に姚明がトッププレイヤーとしてロケッツに入団すると、NBAは中国市場での黄金期を迎えた。NBAの公式の統計では、姚明の入団から退団までの間に、観客数は3億7千万人増加したという。

姚明が退団し、易建聯が中国に戻って自国で活躍するようになると、NBAには代表的な中国人選手がいなくなった、しかしネットライブ配信の誕生発展にともない、NBAの中国での発展はますます良好になっている。

14年に新コミッショナーに就任したシルバー氏は、中国市場に相当な精力を注いだ。シルバー氏は中国語名を「肖華」といい、これはNBA中国の従業員がみんなで知恵を絞ってシルバー氏のために考えたものだ。シルバー氏が打ち出した一連の行動、たとえば毎年スター選手の中国訪問を企画する、新年の祝賀カードの写真撮影をするなどは、NBAに中国要素を加えるために打ったあらゆる手立ての一つで、大きな成功を収めた。

モーリー氏の問題が拡大を続けるのにともない、NBAの中国での最初の一歩、発展、今日の繁栄など、すべてが一時停止状態になった。NBAは中国市場のドアを開くのに30年かかったが、シルバー氏とモーリー氏によりそのドアはわずか3日で閉じられてしまった。(編集KS)

「人民網日本語版」2019年10月12日

最新ニュース

注目フォトニュース

コメント

| おすすめ写真

ランキング