2015年12月18日  
 

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フランス、非常事態下の「言論」 テロ襲撃下のパリから

人民網日本語版 2015年12月14日18:26

 パリで11月13日に起きた連続テロ事件は、死者130人、負傷者352人を数える未曾有の大惨事となった(20日発表)。仏大統領は「非常事態宣言」を発令、厳戒態勢を敷き、「フランスは戦争下にある」と宣言した。IS戦闘員によるものと断定され、フランスからベルギーにまで広がるネットワークが一斉に摘発され、シリアのIS拠点への空爆も強化された。

 フランスで一体何が起こっているのか。日本では、フランスへの連帯の声が上がる一方、「空爆は憎しみの連鎖を生むだけ」とか、「数日前のレバノンでのテロにはなぜ関心を寄せないのか」とか、「フランスのイスラム教徒差別が問題の本質だ」とかいった論評が見られ、それぞれまっとうな批判であると感じる。だが「非常事態」下のフランスで、そうした言論が圧殺されているかと言えば、それはまったく事実と異なる。

【タブーなき論戦】

〈公共放送「France 2」の討論番組「Ce soir (ou jamais !)」で熱弁するイラク・中東研究家(同局サイトより)〉

 「米国やロシア、フランスの空爆で大勢の市民が死んでいる。犠牲になった子どもの写真はインターネットで広まり、ISの正当化に使われ、新たな志願者を世界中から集める」。事件1週間後の20日に行われた討論番組「Ce soir (ou jamais !)」では、テロ後の政府の対応の是非が話し合われた。イラク・中東研究家Myriam Benraadは「モンスターに餌をやっているのは私たちだ」と空爆強化を鋭く批判した。

 だが周りにいる論客もこれで黙ってしまうような人々ではない。「パリ襲撃前日にベイルートでテロが起こったのは偶然ではない。イランとフランスが接近したことでダエッシュ(ISの別名)が追い詰められているサインだ(ベイルートのテロはイランと同じシーア派の組織「ヒズボラ」の拠点地区で起こった)。空爆は効果を上げている」と戦争学者が返せば、「空爆で地上に何が起こっているかはわからない。我々は次のテロを生む罪を犯しているのではないか」と歴史家が反論し、さらに「制圧には地上軍が不可欠だ。だが西側がそれをすれば新たな十字軍になってしまう。その任務は周辺国が担うべきだ」と国連平和維持専門家が指摘する。

 ここではすべてが話されている。フランスでは毎日、専門家による討論番組が見られる。専門知識を高台から紹介する教養番組ではない。違う見方を持った人々が対等に意見をぶつけ合い、公共のディベート空間を作り出す場だ。誰が正しいということは決まっていないし、誰が正しいかを決めるのは目的ではない。フランスでは「非常事態」の下にあってもなお、すべての人が「右向け右!」をしているわけではないのである。翻って、日本において果たしてそうした議論ができるのか。「存立危機事態」が起きたならば、日本でもこうしたタブーなき討論が可能なのか。日本人として自問を迫られた。

【言葉が持つ危険】

 こうしたダイナミックな議論の空間が存在する一方、フランスにおいても異分子の排除や問題の単純化という危険は厳として存在する。1月の風刺新聞「シャルリ・エブド」襲撃後、「Je suis Charlie(ジュ・シュイ・シャルリ、私はシャルリ)」というスローガンがフランス中にあふれたのを覚えておいでだろうか。その際、論争の多いコメディアンのディユドネという人物が、「Je me sens Charlie Coulibaly(私はシャルリ・クリバリの気分だ)」(クリバリは同時に起こったユダヤ系スーパー襲撃犯の名)というツイートをした。ディユドネは「犯罪擁護」の罪に問われ、執行猶予付き懲役2カ月の判決を受けた。マリからの移民2世であるクリバリもしかし、まさにフランスの一部である。「Je suis Charlie」で踏み絵を迫られていると感じた人々が社会の中にいるのは理解できる。

 振り返れば1月の事件後にフランス全土で湧き起こったデモは、勝利と解放の歓喜にあふれ、少なくとも参加者にとっては、希望に満ちあふれたものであった。「Je suis Charlie」のプラカードや張り紙は、自由を脅かすものに屈しはしないという決意を示すシンボルであった。だがそのシンボルがいつの間にか消え、人々がこれを忘れた頃、何が起こっただろうか。「悪夢」は十倍にも百倍にもふくらんでパリを再び襲った。歓喜のシンボル「Je suis Charlie」は敗れ去った。

〈公共放送「France 5」の「La Grande Librarie」は作家が集まる討論番組(同局サイトより)〉

 安直なシンボルに頼ることの危険。その反省はフランスの言論にも影響を与えている。作家がゲストとなる討論番組「La Grande Librarie」(19日放送)では、この状況において意味を失った言葉、危険になった言葉が話題となった。ある作家は「一」といった。神や理論が「一つ」しかいないということから「全体主義の言語活動」(langage totalitaire)が生まれる。複数の神がリーダーが理論があるから話し合うことができるのだし、そうすることが民主への道なのだという。またある作家は「悪夢」だといった。悪夢には想像の産物というニュアンスがある。だがこの悪夢は実際に人を殺すまでの力を持っている。「犠牲者」という言葉も槍玉に上がった。犠牲者はかつて恥であった。犠牲者が英雄視され始めたのは最近である。「犠牲者」という言葉はもはや犠牲者のものではなく、政治家のものである――。

 言葉は理解を助けると同時に、意味を変え得るし、時には有害なものにもなり得る。上述の議論にはそうした反省に立った慎重さがうかがえる。「Je suis Charlie」の敗北を踏まえた、テロという不可解な現象を単純化せずに捉えようとする静かな姿勢が見える。

【日常という抵抗】

 「日本では化学兵器が使われたことがあるんでしょう?」 事件後、同じ質問を二度受けた。使ったことはあったが使われたことがあったかと自問したが、95年の地下鉄サリン事件のことだった。何かと思うと、ヴァルス首相が、テロリストが化学・生物兵器を使用する可能性に言及したのだという。「でもその可能性は低いとヴァルスは言ってる」と別の人が言うと、もう一人は「パリの病院では細菌防護マスク一式が盗まれたらしい」と継ぐ。人々の普段の会話の中にも不安は確かに影を落としている。

〈襲撃のあった劇場「バタクラン」前に捧げられたキャンドルやメッセージ(19日撮影)〉

 不安とともに多くの人に共有されているであろうもう一つの感情が、死者へのオマージュ(敬意、哀悼の意)である。テレビでは毎日、襲撃で命を落とした人々の生前の物語が語られている。89人と最大の犠牲者を出した劇場「バタクラン」前の車道を挟んだ歩道は、花束やキャンドル、メッセージで埋め尽くされ、立ち寄った人々がゆっくりとその前を歩いている。風や雨で消えたキャンドルをしゃがみこんで一つ一つ灯しなおしている人もいる。

 パリの夜はここ数日、急に寒さが深まった。街ではもう、クリスマスのイリュミネーションが輝き始めている。レストランやカフェのテラスはヒーターで赤く照らされている。人々の笑い声も聞こえる。いつものパリだ。「顔に傷ができたって笑うことはできるはずさ」。機関銃掃射で19人が殺されたレストランの主人の言葉を思い出す(公共放送「fance 2」「Des paroles et des actes」16日出演)。ユダヤ人の主人はこの襲撃で、レストランをともに経営していた妻を失くした。ムスリムだった。店名は「La Belle Equipe」。一番の仲間という意味だった。店はまた開くという。「顔に傷ができたって幸せになることはできるはずだし、そのほかに選択肢はない」

 まるででたらめで乱暴な襲撃を受けたパリの人々は今、「日常」という抵抗と粘り強い言論を続けながら、明日への道を模索している。

 「人民網日本語版」2015年12月13日

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