自由主義者と敵対する「自由の国」米国 (2)
米国は世界中のネットユーザーに英雄と持ち上げられる自由主義の青年を捕えようとしている。以前には、ウィキリークスを主宰するインターネット自由主義者を捕えようとした。世界で最も有名な2人の「インターネット自由主義の英雄」がいずれも米国の敵となった。こうした対抗は非伝統的な意義のものであり、米国が強大化するほど、そのイメージのリスクは実は高まっている。自由の国が世界のインターネット自由主義の精神的リーダーを許すことができない。このパラドックスはどれほど力を費やしてもはっきりと釈明できない。米国はこれまで世界で最も自由な国だと多くの人に思われてきた。だがスノーデン氏とアサンジ氏の境遇は、インターネットの世界にそれと反対の慣行を証明しつつある。今に至るも米国はどの国にも謝罪せず、批判するEU諸国に対して「監視は理にかなっている」と論争してさえいる。米国は、盗人が他人を盗人呼ばわりして逃れようとするようなことを堂々とできる国だとの国際的イメージを、自らの行動によって深めている。
公平と正義は世界各国の社会が等しく追い求めるものとなっており、国際関係のレベルに浮上しないことはあり得ない。国内でどう振る舞おうとも、国際社会での米国のモラル面の行動は、その追い求める「世界のリーダー」としての役割と全く一致しないばかりか、かなり悪いものでさえある。米国は他国にはするなと要求することを、自分ではいつもして、しょっちゅうダブルスタンダード、マルチスタンダードを適用する。また、自らが主導して制定した国際秩序の破壊者であることが多々ある。
スノーデン事件の行方を観察すれば、関連分野での米国の将来の行動をおおよそ推測できる。「釈明」すらおっくうでしない国に、われわれは何の変化も期待できないだろう。米政府がネット政策を制定する際の出発点は、今も米国の国益だ。しかも国益についての米国の理解はまだ20世紀のままで止っているようだ。
スノーデン氏は米政府に反抗する最後の自由主義の闘士ではないとわれわれは信じる。「突如やってくる」こうした闘争の背後には、静かで大きな時代の流れが常にある。それらが世界に与える衝撃は、われわれが今日目にしているものよりも深いものである可能性が高い。「インターネットは世界を変えつつある」という言葉に対するわれわれの理解が、最終的なものになるにはまだほど遠い。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年7月4日