舛添知事は現在65歳。2007年、第一次安倍内閣において厚生労働大臣に任命され、続く福田内閣と麻生内閣においても続投した。
■ 舛添要一氏略歴
舛添氏は学生時代にフランスとドイツに留学、専攻は国際政治学。政界入りする前は、東京大学助教授(役職名は当時のもの)として、テレビの討論番組などに頻繁に出演した。政界に身を転じたのち、2001年参議院議員に初当選。
憲法改正論者である舛添氏は、自民党時代に憲法改正案取りまとめの責任者を担当していたが、極端な右翼的な言動を行ったことはない。
舛添氏はたびたび安倍政権を批判してきたが、東京都知事選挙では、他に適切な候補者がいなかったことから、安倍総理は街頭で舛添氏の応援演説を行った。自民党が苦境に陥った時、舛添氏は自民党を離党、「新党改革」を設立した。そのような経緯から、彼を「裏切り者」と非難する人もいた。
舛添氏は、私生活では「プレイボーイ」と称されている。3回の結婚歴があり、子供は5人いるが、5人のうち3人は婚外子。(編集KM)
「人民網日本語版」2014年4月24日