「第9回中日韓賢人会議(中国名:東北アジア名人会)」が21-22日の両日、江蘇省揚州市で開催された。「東北アジア名人会」は、中日韓3国のメディア各社が発起、設立した、重要な非公式国際交流ルートである。中国国務院の曾培炎元副総理、日本の福田康夫元首相、韓国のイ・ホング元総理の3人が代表を務め、3カ国の各界著名人が参加した。(文:陳健・元国連副事務総長、前駐日中国大使。環球時報掲載)
私の外交生活は、中日韓3国間の協力と密接な関わりを持っている。1998年から2001年まで、私は7代目の駐日中国大使を務め、中日韓協力の発展プロセスを目の当たりにした。前世期紀末、東アジア諸国はアジア金融危機に見舞われ、中日韓とASEAN各国は「ASEAN +3」枠組のもと、危機から脱出する道を懸命に模索した。3カ国の指導者は1999年、「ASEAN +3」会期中に朝食会を開催し、3カ国協力の道を歩き始めた。これは、歴史の必然であると同時に、極めて現実的な選択の結果だった。
あれから15年、中日韓協力は、私の予想をはるかに上回るスピードで発展した。3カ国協力は、東アジアの協力とアジア経済の一体化にとって重要な原動力となった。3カ国のGDP合計はアジア全体の70%を占め、「ASEAN+3」協力は、アジア協力体制の主要ルートとして、重要な役割を果たしている。アジアの自由貿易体制、地域内の金融セーフティネット、アジア投融資システムの構築・確立はいずれも、3カ国協力という力強い基盤なしには実現し得ない。
その一方で、過去15年に及ぶ中日韓協力が、山あり谷ありの紆余曲折を経てきたことは、私の予想していた通りだった。3カ国協力は、最小単位での多国間関係であることから、2国間関係の変動による影響をもろに受けやすい。日本は数年前から、領土主権、歴史、軍事安全など一連の問題において、ネガティブな態度をとり続けている。これにより、ハイスピードで進んできた中日韓協力という特急列車のレール上に障害物が生じ、リスクが増大、多くの人々が3カ国協力の未来に対して懸念を抱いた。