17日午後、爆撃によって足を切断された母・羅富易さんの写真を見せる羅淑琴さん。 |
第二次世界大戦中の1938年から43年にかけて、旧日本軍は当時の中国の首都・重慶やその周辺地域に対して断続的に無差別爆撃を実施。直接死者だけで約3万人、間接死傷者が約6600人に上った。今月16日に東京地裁103号法廷で行われた第26回重慶大爆撃裁判において、原告の粟遠奎さん(80)が法廷で証言し、「1941年6月5日、家が旧日本軍の爆撃を受け壊滅。姉2人が亡くなった。この日を境に、それまで豊だった生活が一変してしまった」と訴えた。人民日報が報じた。
粟さんは17日、東京衆議院第2議員会館で開催された「重慶大爆撃の被害者の証言を聞く連続院内集会(第1回)」にも参加し、「日本の中国侵略戦争から既に70年近くが過ぎたが、被害者にとって、戦争はまだ続いている。私たちの精神的、肉体的苦痛は消えていない。被害者の一人として、日本政府が歴史と向き合い、誠意をもって重慶爆撃の被害者に謝罪と賠償を行うことを求める」と訴えた。
謝罪と賠償を強く要求
2006年、中日両国の弁護士や民間団体が、日本政府に謝罪と賠償を求める「重慶大爆撃賠償請求訴訟」を起こし、これまでに行われた25回の裁判で、多くの被害者が法廷で証言した。16日に行われた裁判では、北京大学の徐勇・教授が資料や研究の結論を提出したほか、粟さんと同じく原告の羅淑琴さん(68)が、原告188人を代表して被害状況を証言した。同意見陳述は、5回行われる計画の人証調べの1回目。今後6月30日までに、残りの4回が行われ、日本の研究者3人を含む12人が法廷で証言する。その後、8月に法廷弁論が行われ、第一審の判決が今年の年末までに下される予定だ。
「被害者の証言を聞く」で、羅さんは涙を流しながら、母親の羅富易さんが1941年7月28日の爆撃で負傷し、右足の膝から下を失ったこと、さらにお腹の中にいた赤ちゃんも流産してしまったことを訴えた。そして、母親が不自由な右足を引きずりながら、人の何倍もの努力を払って体力仕事をし、家族を養ったことを語り、「日本の軍国主義が中国侵略戦争を起こし、母親や家族に悲痛な苦しみをもたらした。日本政府からの謝罪と賠償を強く求める」と訴えた。
同集会に参加したジャーナリスト・軍事評論家の前田哲男氏も「同裁判の判決がまだ出ていないため、多くの日本人が旧日本軍が重慶で犯した重罪を知らない。旧日本軍は当時、重慶やその周辺地域に対して爆撃を行い、重慶だけでも2万人以上が犠牲になった。今回の意見陳述が始まったことで、同裁判は新たな段階に入った」との見方を示した。