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書類を見る人々。 |
中国人労働者強制連行という日本の犯罪行為に関する貴重な書類120袋が18日、初めて中国で公開された。在日愛国華僑指導者、東京華僑総会の陳焜旺名誉会長が中国人民抗日戦争記念館に寄贈したものだ。沈強館長はこれらの貴重な書類を適切に保管する方針で、すでに電子化しており、適切な時期に展示するという。
■3揃い中2揃いは所在不明
1950年11月1日、在日華僑は東京浅草の本願寺で、初の中国人労働者慰霊追悼会を行った。中国人労働者の調査に参加した日本外務省のある職員が様々なルートを通じて当時東京華僑総会副会長だった愛国華僑の陳焜旺氏と連絡を取り、日本に連行した中国人労働者の奴隷的酷使について記した「外務省報告書」および関係資料の焼却を外務省から命じられたが、大変貴重な資料で焼却するのは余りにも惜しいと考え、こっそり3揃いをとっておいたことを伝えた。
その後、この職員から資料1揃いを譲られた陳氏は数カ所に分けて入念に保管した。このことを知った日本右翼が資料を盗もうと企んだが、思い通りにいかなかった。残る2揃いの資料は現在所在不明だ。
このほど陳氏は半世紀余りにわたって保管してきた書類を抗日戦争記念館に寄贈し、日本による中国侵略の犯罪行為を白日の下にさらした。
■中国人労働者の遺族が「現場で肉親捜し」
書類によると計3万8935人の中国人労働者が169回に分けて中国から日本に送り込まれた。沈館長は「日本側の資料によると、日本での死亡者数だけで6830人に達する」と説明。18日には抗日戦争記念館多機能ホールで黄ばんだ書類が陳列され、山東省や河北省から訪れた遺族が書類をめくり、父や祖父の名を探していた。62歳の姜彦龍さんは祖父の姜双河さんの名を書類の中に見つけた。姜双河さんは河北省出身で、1943年に日本の花岡へ労働者として連行され、客死した。
■中国人労働者の奴隷的酷使は三菱、三井が最多
書類は計120袋、405件で、日本企業35社124作業場の373件の報告、日本外務省の報告書および付属書類32件からなる。これらの書類には日本に強制連行された中国人労働者の氏名、契約書、死亡診断書などが記録されている。
資料によると、計3万8935人の中国人労働者が169回に分けて中国から日本に送り込まれた。一橋大学の田中宏教授の研究によると、日本が実際に強制徴用したのは4万1758人で、2823人が乗船前に死亡し、3万8935人が実際に日本に到着した。強制徴用された中国人労働者は日本厚生省によって日本企業35社の135の作業場に配属された。作業場はほぼ日本中におよび、うち三井財閥、三菱財閥が最も多くの中国人労働者を奴隷的に酷使した。
中国人労働者の出身地は華北5省が3万5778人で最も多く、華東地域が2137人、傀儡満州(東北部)が1020人だった。中国人労働者は捕虜になった抗日将兵(国民党軍と八路軍、新四軍を含む)と日本占領区で捕まった農民、商工業者に大きく2分される。
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