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84歳の「成都大爆撃」被害者女性、東京地裁の法廷に立つ

人民網日本語版 2014年05月30日13:57
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 今年84歳になる蘇良秀さんは来月3日に、成都から東京に赴き、73年前に起こった「成都大爆撃」の国家賠償を求め、東京地裁の法廷に立つ。これは「成都大爆撃」の被害者が2004年から日本政府に謝罪と国家賠償を求めて提訴した裁判の29回目の法廷であり、最終判決が出る可能性もある。10年に及ぶ訴訟の結果がこの日にかかっている。蘇良秀さんと娘さんのほかに、四川大学歴史文化学院の劉世龍教授や四川君益弁護士事務所の徐斌弁護士も同行する。成都商報が伝えた。

 成都市人民防空弁公室と成都市国防教育学会が共同で編著・編纂した書籍「成都大爆撃」によると、1938年11月8日から1944年12月18日までの6年と40日間に、成都は計31回もの大爆撃の標的になり、5337人の死傷者が出た。そのうち、1941年7月27日に日本が成都に行った爆撃は抗日戦争(日中戦争)が始まって以来最も深刻な被害を出した。当日、日本軍は108機の戦闘機を出動させ、4つのグループに分かれ、成都の鹽市口、春熙路、少城公園一帯に壮絶な爆撃を行った。この爆撃は、歴史上「7.27事件」と呼ばれている。

 ■痛ましい過去:73年前の空襲で家族6人が死亡、4人が負傷

 1930年生まれの蘇さんは家族とともに、当時成都市八寺巷(現、西華門街)に住んでいた。1941年7月27日、成都は抗日戦争が始まって以来最大規模の空襲を受けた。その日、蘇さんは5人の家族を失った。蘇さんは当時のことを振り返って次のように語った。

 「当日、もうすぐ正午になろうとする時に、突然、空襲警報が鳴り響いた。家族と親戚は急いで庭のクルミの木の下に隠れた。運が悪いことに、爆弾はちょうど木に命中し、庭には6メートル四方程の大きな砲弾の穴ができた。木の下に隠れていた10人のうち、ある者は身体が半分ほど土に埋まり、ある者は手足が吹き飛ばされた」。

 この襲撃で、蘇さんの祖母、蘇黎さん、母親の蘇賈さん、父親の1番下の妹の蘇紹群さん、いとこおばの達鳳英さん、上の弟の蘇良兄さん、下の弟の蘇良酬さんの6人が爆撃により即死、蘇良秀さん本人と他の3人も重症を負った。蘇さんのこの体験は、書籍「成都大爆撃」に掲載されたほか、証言として日本の法廷にも提出された。

 ■損害賠償を求める長い道:10年に及ぶ係争の末、ついに法廷に立つ

 2002年8月28日、「晩霞報」を読んでいた蘇さんの目にあるニュースが飛び込んできた。「重慶大爆撃」の被害者たちが損害賠償を求めて提訴したというものだ。蘇さんは至急メディアを通して、「重慶大爆撃」民間訴訟団と連絡を取った。

 2007年7月、東京の弁護士事務所の元永修二氏と宣野一樹氏が成都を訪れ、成都大爆撃の被害者が日本政府に国家賠償を求める訴訟を無償で援助すると申し出た。現時点の日本行きの行程によると、翌月3日に成都を発ち、4日に出廷して、被害者として陳述を行う。その後、10日に成都に戻る予定だ。

 蘇さんが高齢ということで、家族のほとんどは今回の行動を支持していない。しかし、蘇さん本人の意志は固い。「勝訴の瞬間を見れなかったとしても、この訴訟は子供や孫の代まで続け、勝つまで戦い続ける」。


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