中国の至宝と呼ばれる雲南省少数民族出身の舞踏家・楊麗萍(ヤン・リーピン)の3年ぶりの来日公演となる舞踏劇「孔雀」が日本で行われた。初演にあたる東京公演ではチケットの入手が困難なほどの大人気を博し、続く大阪公演でも毎回満席の大盛況となった。連続10公演が行われた「孔雀」の舞台裏で、忙しく動き回る女性の姿があった。この女性こそ、楊麗萍の4回にわたる日本公演を実現させ、主催してきた在日華人企業家の呂娟氏だ。楊麗萍は呂娟氏について、「非常に情熱的な人で、文化の架け橋としての役割を担っている」と語った。中国新聞網が伝えた。
これについて呂娟氏は、「海外に優れた中国の文化・芸術を紹介する架け橋的な役割を非常に喜んで務めている」と朗らかに語った。呂娟氏と楊麗萍との縁が結ばれるきっかけとなったのは、2006年の大連国際ファッション祭だ。呂娟氏はこの時見た楊麗萍の舞踏「孔雀の霊」に衝撃を受け、楊麗萍の舞踏を必ず日本に紹介するという熱い思いが生まれたのだという。マネージャーを介して知り合った呂娟氏と楊麗萍は思いのほか意気投合し、「高慢」だと聞いていた楊麗萍は2人のパートナー関係を即決で了承した。その後、1年間の準備期間を経て、楊麗萍の初の日本公演ツアーがついに実現した。
楊麗萍は2008年3月に歌舞劇「シャングリラ」の日本公演を行い、大成功を収める。また2009年にも日本に赴き「シャングリラ」の再演を行い、前回同様、毎公演満員御礼の大盛況となった。呂娟氏が今でも忘れられないのは3回目の日本公演だ。当時、日本はちょうど3月11日に東日本大震災が起こったばかりで、津波や原子力発電所の事故といった大きな災害に見舞われていた。4月に予定されていた楊麗萍の公演「蔵迷」のチケットは早くに売り切れていた。このような状況下で、楊麗萍はまったく躊躇することなく日本公演を決行し、会場では感動のあまり涙を流すファンも多く見られた。このほど終わったばかりの4回目の日本公演もこれまで同様の大成功を収めたことで、再び興行界の奇跡と呼ばれている。呂娟氏は、「今後も、楊麗萍氏とのパートナー関係は継続していく。次は楊麗萍氏の芸術人生の軌跡を記録したドキュメンタリー映画『孔雀東南飛』を撮影する予定だ」と語った。
実のところ、楊麗萍とのパートナー関係も、呂娟氏が日本に紹介してきた数多くの中国の文化・芸術の一部分に過ぎない。1990年に日本に留学した呂娟氏は、もともと医学を勉強していたが、自身の芸術に対する情熱に気付き、専攻を日本文化に変更したのだという。卒業後は経済の世界に入り、まずは人材派遣やビジネス関連の旅行事業などを立ち上げて軌道に乗せ、在日華人企業家として大きな成功を手にした。しかし、そこでの成功にあきたらず、呂娟氏は再度、文化・芸術の夢を手に入れるという初心の夢に立ち戻り、日中文化交流を促進する文化事業のための会社を立ち上げる。
呂娟氏が設立した企業グループはイタリア語で「昇る太陽」を意味する「アルバックス」と名付けられた。これは、イタリアでオペラを鑑賞した際にたまたま聞いた歌の歌詞に感動したからだという。呂娟氏は、自分の体験を踏まえて、「良い行いをすれば、良い報いがある。当初は単に中国の優れた文化・芸術を日本に紹介したいという思いしかなかった。投資した後にコストを回収できるとは考えていなかったし、赤字になるという心の準備もしていた」と語る。しかし、ふたをあけてみると、予想に反して赤字どころか、利益まで生まれた。現在、文化事業は会社にとっても重要な事業内容となっている。このようにして得た大きな成功は現地の文化市場の需要や現地の人々の好みなどを理解しつくしたことから得たものだ。呂娟氏は、文化事業は非常に意義あるものだという信念に基づき、今後も中国の優れた文化・芸術を紹介していくことだろう。(編集MZ)
「人民網日本語版」2014年6月25日