日本は昨年以降、安全保障政策において一連の重大な決定を行ってきた。まず特定秘密保護法を制定すると、次に国家安全保障会議を設立、さらに「武器輸出三原則」を見直した。そして先日には、集団的自衛権の行使容認も閣議決定した。(文:沈丁立・復旦大学国際問題研究院副院長。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
安倍政権のこうした措置は、日本を「普通の国」にし、平和憲法を打破し、最終的に交戦権を手に入れることを目指している。日本政府は米国の後ろ盾があることを笠に着て、国内の強い反対と国際社会の重大な懸念を顧みない。日本は米国の戦争に便乗し、日米合同軍事行動を通じて交戦権を取り戻すことを期待している。
日本政府がこのように独断専行に走り、やりたい放題の事をするのはなぜか?日本側の理由は次の2つだ。その1、日本は脅威に直面しているため、制約を緩和して他国に対する抑止力を手に入れる必要がある。その2、日本はすでに平和国家なので、もう平和憲法は必要ない。
だが本当にそうなのだろうか?まず、日本が脅威に直面しているか否かを見てみよう。日本の軍事力がどれほど強いかを論じずとも、日本には超大国の軍事的保護がある。まさかそれでも安全でないと感じているというのか?日本はかつて原爆による攻撃を受け、そのために速やかに降伏もした。今日の米国の核抑止は「米国本土、在外米軍および同盟国が攻撃を受けた場合、米国は核兵器を先制使用する可能性がある」というものだ。理論上、日本が進攻を受けさえすれば、それがどのような進攻であろうと、攻撃国は米国からの核攻撃に耐える準備をしなければならない。
日本は脅威に直面していると考えている。すると米国の保護を必要としながら、米国の保護が十分でないことを懸念してもいるのか?米国のスーパー核抑止力および世界最強の通常兵器があってもなお、米軍が脅威を防ぎ止める助けにならないことを懸念しなければならない、これを誰が信じようか?
日本の考える脅威はおそらく、中国が台頭に伴い領有権を守る能力をさらに強めていくことだろう。日本は1895年に中国の釣魚島(日本名・尖閣諸島)を盗み取った。その後米日はこれをひそかに受け渡しして、領有権回復に向けた中国の努力を阻止した。協力と覇権反対の考えから、かつて中日は釣魚島をめぐる領有権争いについて棚上げという暗黙の了解に達した。これはもともと中日関係の発展、地域の安定維持に向けた中国側の前向きな提案であり、両国はその後この方針に基本的に沿って付き合い、40年間の平和と安定を確保した。2012年に釣魚島の「国有化」を強行して、釣魚島問題の現状を一方的に変更したのは日本政府であり、だからこそ中国側は領有権を大々的に示すことを余儀なくされたのだ。中国側の措置は日本の重大な過ちに対する正常な反応であり、日本への脅威ではない。釣魚島はもともと中国領であり、中国側は中日関係の大局維持の観点から長年自制的姿勢を取ってきた。日本は中国側の忠告と警告を聞かず、中国側の領有権への挑戦を強行した。どちらがどちらに対して脅威となったのかは、一目瞭然ではないか。