当時の日本の映画は、改革後間もない中国にとって、現代化社会の窓口のような存在で、多くの人が感動を覚えた。巨匠・張芸謀(チャン・イーモウ)監督も当時、日本の映画の影響を大きく受けた人の一人だ。張監督にとって、日本の映画は忘れられない記憶の一部となっている。21世紀に入り、高倉さんの影響を大きく受けて映画界に入った張芸謀監督は、自分の作品に主演として高倉さんを招待。日中合作映画「単騎、千里を走る(中国語題:千里走単騎)」 (2005年)が製作された。当時74歳だった高倉さんは、高齢にもかかわらず、ずば抜けた演技力を見せ、シンプルなストーリーであるものの、見る人に大きな感動を与えた。張監督は同映画で、自分の夢をかなえただけでなく、故郷に対する思いを表現し、1970年代の人々の感情を思い起こさせた。既に多くの成果を上げ「巨匠」と呼ばれるようになった張監督だが、今は改革開放後間もない頃とは大きく異なり、その時代に戻ることはできない。
70年代、80年代は、ここ120年で、中日関係が最もよかった時代だろう。中日の政治家が、両国の関係を改善するために尽力していた。1985年、中曽根康弘当時総理大臣が、中国の人々が靖国神社参拝に対して反感を抱いていることを知り、参拝を中止したことを、中国の人々は覚えている。中曽根総理大臣の行動と決断は、最近の日本の政治家とは大きな差がある。
今の中国において、高倉さんらほどの影響力や集客力を誇る日本人はほとんどいない。高倉さんの死は、一つの時代の終わりを告げているのかもしれない。そのことを考えると、何かさびしい気持ちにさせられる。ここ数年、中日関係は悪化の一途をたどっている。今の中国と日本は、それぞれ新たな時代に突入している。高倉さんは、日本のスターとして、中国でも大きな支持を得た。女優の中野良子さんや栗原小巻さんらは、自分の仕事に打ち込み、その責任感で、中日両国の国民の心をつないだ。高倉さんの世代は、中日両国に貴重な財産を残してくれた。これこそが、民間の力、文化の力だ。
現在、中国は周辺の国にも注意を向けるようになっている。中国は、アジア諸国と共に新たな歴史を作ることを決意している。それにより、アジアの人々やアジアの文化が融合され、歴史的変化を迎えるだろう。そして、新たなアジア文化が生み出されるだろう。この巨大な渦の中で、高倉さんの継承者が出現することが願われる。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年11月20日