1990年代に生まれた中国の若者にとって、高倉健さんはそれほどなじみの深い日本人ではない。しかし、高倉さんは、俳優という立場を超えて、中国に大きな影響を与えた。高倉さんは、中国の改革開放(1978年)当時の文化的シンボルであり、同世代の人々の心に宿る「大スター」だ。北京青年網が報じた。
中国の人々が高倉さんに出会ったのは、1979年に「君よ憤怒の河を渉れ」が公開された時だ。改革開放が実施されて間もなかった当時、中国国産の映画はほとんどなかった。「君よ憤怒の河を渉れ」で主演を演じていた高倉のクールな姿や角刈りのヘアスタイル、濃い眉毛、一重まぶたは、中国で「もてる男」の象徴となった。
中国で高倉さんと言えば、同映画を連想する人が多いが、日本のネットユーザーらは、やくざ映画を連想する。1960年代の映画「網走番外地」や「日本侠客伝」などで主演を務めた高倉さんは、学生運動にふけっていた当時の日本人の間で、圧倒的な人気を誇った。
日本のネットユーザーの間では、寡黙であるものの、ここという時には必ず登場するというのが高倉さんのイメージで、その男気や人間味ある姿にあこがれている人も多い。暗い過去の時代に、大きなプレッシャーを背負っている男性というのが高倉さんのイメージだ。