当時、共に植えた桜の木
まだ寒さを感じさせる春の風も、桜を愛でる人々の興をそぐことはなく、古希を迎えた4人の老人は感慨深げに堤角公園の桜を眺めながら、彼らが14年来、共に残してきた記憶の数々を探していた。桜の園は大変にぎやかで、ウェディングドレスを着て撮影する女性が通ったかと思えば、子供を連れた多くの親たちが遊んだり、写真を撮ったりしている。また木の傍では仲間たちが集まって笑いながら写真を撮ったり、芝生に座って花見をしながらゲームしていた。易さんは村石さんに堤角公園は辺鄙な場所だったが、桜の木を植えてから、花見に来る観光客が日増しに増えていると話すと、村石さんはうなずいて称賛した。
白髪で黒いジャケットに身を包み、濃紺のネクタイにメガネをかけた村石さんが一面の桜を眺める顔には陶酔したような穏やかな笑みを浮かんでいた。4人の老人は記念碑の前で数年前の記念写真を持ち出し、全く同じ場所に同じように立って再び記念写真を撮った。村石さんは趙さんの肩を叩きながら「趙さんは相変わらず元気で若いね。写真で見ると私は随分老けたよ」と言うと、趙さんは「いやいや全然変わっていませんよ。髪の毛は真っ白になりましたが、気持ちは今も若々しいですよ」と返した。
「平和記念碑」は中日両国の文字で「日中両国人民の末永い友好及び世界平和のために、私達は手と手を取合い、日中友好の桜植樹事業と平和記念碑の設立を行います」と刻まれている。そして落款には4人の老人の名前が刻まれている。村石さんは「桜は友好の花だ。花見に来た人々が私たちが植えた桜の木を見て、桜を植えた時の私たちの気持ちを理解して、皆で平和を唱え、戦争に反対してほしい。戦争は多くの人々から父母を奪い、孤児をうむ。このようなことは二度と起きてほしくない」と語った。